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コラム

2010年11日23日 up

長尾裁判:高裁判決・最高裁上告棄却批判 高裁判決は診断名を多発性骨髄腫と認めるも被ばくとの因果関係は認めず

高木学校 崎山比早子

はじめに − 控訴審までの経過

 長尾光明さんは福島第一原発で1977年から4年3ヵ月間、配管工、現場監督として放射線作業に従事、70mSv(ミリシーベルト)の被ばくを受けました。1998年に多発性骨髄腫を発症し、2004年1月に被ばくとの因果関係が認められ労災認定を受けました。白血病以外では初めてのことです。その年の10月長尾さんは原発労働者の労働環境を改善する力になりたいと「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」に基づいて東京電力に対し損害賠償を求める訴訟を起こしました。

 この裁判で東電側では多発性骨髄腫と被ばくとの因果関係を争う以前の問題として、診断自体が誤っていると主張しました。この診断論のために3年以上に長引いた東京地方裁判所での裁判の経過中、2007年12月に長尾さんは逝去されました。2008年5月23日に松井英隆裁判長が言い渡した判決は、東電側の主張を全面的に認め「第一に原告の疾患が多発性骨髄腫であったとは認められない、第二に200mSv未満の放射線被ばくと多発性骨髄腫との因果関係は認めることはできない」としました。長尾さんのご遺族及び弁護団はこれを不服として東京高等裁判所に控訴しました。それまでの経緯はすでに報告がありますのでご参照ください[1]-[4]。


控訴審での争点と判決

 一審判決からもわかるとおりこの裁判の争点は大きく二つに分かれます。一つは長尾さんの病気が多発性骨髄腫であったかどうか、二つ目は多発性骨髄腫と放射線被ばくとの因果関係を認めるかどうかです。原判決では両者共に否定されましたが、第一回控訴審で青柳肇裁判長は、診断は裁判所が行うことではなく医師に任せるべきものであり、裁判所は疾病と被ばくに因果関係があるかどうかを審理すべきであると述べ、これまでに原賠法で保障された判例があるかどうかを尋ねたことから原告側は希望を抱いたのですが・・。高裁での法廷は2回開かれ、2009年4月28日に判決が言い渡されました。

● 第一の争点:多発性骨髄腫であったかどうか

 原告側が一審判決をどう批判し、控訴したかについてはすでに述べました[2]。高裁判決文を読むと、裁判官は丁寧に控訴理由書を読み被告側の主張と比較しています。被告側がしつこく追求した第三頸椎原発病巣形質細胞のクローナリティーについても、その証明がなくとも、その後の経過から「原告の病変はクローナルな形質細胞の増殖が原因であると判断するのが相当である」と認め、「M蛋白の存在」と第三頸椎原発病巣を含めた「複数の骨病変」があることから、多発性骨髄腫の国際診断基準の要件を満たすので「多発性骨髄腫であることを認めることができる」としました。当然の判決であったとは思いますが、骨髄腫の権威、清水一之医師が自ら書いた論文とも矛盾する意見書と、診断論へと方向付けを行った一審裁判官の判断の誤りによって、裁判は長い廻り道を強いられたことになります。その結果本来争われるべきであった、原賠法の適用という争点を高裁の段階で充分に議論せずに判決を迎えたことになり、まことに残念でした。

● 第二の争点:多発性骨髄腫と放射線被ばくの因果関係

 因果関係の立証については、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最高裁判所昭和50年10月24日第二小法廷・民集9巻9号1417頁)」という立場を明らかにしています。

 長尾さんの累積被ばく線量は外部被ばくの70mSv(裁判所は内部被ばくを認めていない)として検討を加えました。岡山大学の津田敏秀教授は, 厚労省検討会の報告書及び原子力安全研究協会の報告書で引用されている全ての疫学論文を対象としてメタ解析を行った結果「長尾光明の被曝量が該当する50〜100mSvの被ばくに対する統合相対危険度は2.50倍(95%信頼区間: 1.41-4.30)であり、ここから導き出される原因確率(寄与危険度割合)は60.1%である。したがって、同じ量の被曝を受けた原子力施設の労働者の中で、多発性骨髄腫で死亡した10人のうち6人は、被曝が原因で多発性骨髄腫に罹患したことになる」と述べています。

 相対危険度がどのくらいから高度の蓋然性とするかが問題です。一般的には、現在東京地方裁判所の裁判官である河村浩氏が述べた「相対危険度が5倍(寄与危険度割合が80%である場合には原因として寄与している確率が高く、高度の蓋然性=証明度80%を超える)」が採用されているようです。これに対し弁護団は「このような判断の仕方が不合理な結果をもたらすことは明らかである。すなわち、仮に原子力発電所において放射線被曝を受けたことがあり、しかも多発性骨髄腫に罹患している10名の者が原告となって訴訟を起こした場合、このうち少なくとも6名の罹患の原因は放射線被曝であり、4名は他原因によるものであることになる。この場合、因果関係の認定において、放射線被曝と多発性骨髄腫罹患との間に高度の蓋然性が認められないとして、全員が請求を棄却されるならば、うち6名は全くの泣き寝入りを強いられることになり、法の理念である正義にも反することになる」と述べました。

 また原爆被爆者の認定に対しては長崎原爆訴訟上告審判決(最高裁第三小法廷平成12年7月18日判決)では「高度の蓋然性」まで証明されなくとも「相当程度の蓋然性」があれば足りるとしました。弁護団はこの考えは最高裁において維持されているとし、「もはや証明度については「高度の蓋然性」は機能しなくなっており、優越的蓋然性で足りるものとされているのではないか」とし、「高度の蓋然性」という概念にとらわれていては被害者救済や損害の公平な分担が果たされなくなると述べていました。

● 判決

 裁判所の判断は、多くの誤りを含んだD. L. Preston等の罹患率を基準にした論文[5]、被告側の関与が大きい原子力安全協会の報告書[6]、国連科学委員会のUNSCAER 2000年報告[7]に、より大きなウエイトを置いています。UNSCAER 2000年報告も原子力安全協会の報告書も厚労省検討会の報告書[8]のように原著論文を詳細に検討して因果関係を検討したものではありません。これら報告書の問題点については参考資料[2]に述べました。

 最終的には病因論で「加齢」を多発性骨髄腫の最も明らかな病因として、「原告が73歳であったから、原告の病因が加齢によるものとの可能性を否定することは困難である。」したがって原告側が挙げた放射線被ばくと多発性骨髄腫の関連性が認められるとしても「高度な蓋然性をもって証明されたということはできず、本件被ばくと原告光明の多発性骨髄腫の発症との間の因果関係を認めることはできないといわざるを得ず」といって上告を棄却しました。

 病因を「加齢」とするならば、少数の家族性腫瘍等を除きほとんどのがんは加齢が病因となると言えなくもありません。がんは遺伝子の変異の積み重ねによって起きるので、年を経るにしたがい遺伝子の傷の誤った修復により変異が蓄積し、がんになると考えられるからです。遺伝子に傷をつける因子には環境中の化学物質や自然放射線に加えて人為的な放射線もあるわけで、長尾さんの被ばく線量ではその寄与度が60%と計算されたわけです。したがって病因論から言えば70mSvの被ばくが、被ばくしていない人に比べて、加齢による相対危険度を2.5倍上げているという事もできます。

 判決では、原告側の主張した原賠法の趣旨に触れることもなく、各地の原爆被爆者集団訴訟判決で「高度の蓋然性」と称する「基準を認定に機械的に当てはめて判断する」方向性が大幅に緩められていたことには全く言及されませんでした。

最高裁への上告

 上告理由書が提出されたのは2009年6月30日でした。上にも述べた理由でこの時になってはじめて原賠法を正面から取りあげたことになります。弁護団は上告理由書に「原賠法は、放射線による健康被害の被害者を保護する法律であるという点で、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(以下「被爆者援護法」という)との共通性を有している。したがって、その因果関係の判断についても、いわゆる原爆症認定訴訟と同一の基準によって行うべきである」と主張しました。

 原賠法が無過失責任を定めた背景には、過失主張の前提となる予見可能性・結果回避可能性に関わる事実が極めて高度な専門的知識にかかわるものであるため、一般の市民にその主張・立証を求めるのは酷であるという事情とともに、こうした放射線被ばくによる結果発生の予見が困難であるためです。現に長尾さんは放射線作業の危険性と放射線被ばくが健康にもたらす影響についての教育を全く受けていませんでした。

 弁護団はまた以下のようにも述べています。「原爆症の認定における、放射線起因性(放射線被曝と疾病との因果関係)の認定基準は、以下のように整理することができる。
@放射線起因性があるとするためには、放射線被曝と当該疾病の発症との間に高度の蓋然性が認められる必要がある。
Aこの場合、原因確率が50%を超えれば、高度の蓋然性があると推定される。
B原因確率が50%以下の場合であっても、放射線被曝による人体への影響に関する統計学的、疫学的知見に加え、臨床的、医学的知見も踏まえつつ、各事例毎に被曝状況、被曝後の行動・急性症状などやその後の生活状況、具体的症状や発症に至る経緯、健康診断や検診の結果等の全証拠を全体的、総合的に考慮した上で、(中略)原因確率が十数%のものや、有意な放射線の影響が確認されなかった疾病についても放射線起因性が認められている。」

 放射線被ばくによる疾病である以上は、線源が原爆であろうと原発であろうと差はないはずですから、長尾さんの提訴理由とする原賠法で原爆症認定訴訟と同一の基準にしないのは差別であるとしました。したがってこれは「憲法第三章 国民の権利及び義務の第十四条第1項 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」に違反している。「よって高裁判決には憲法違反が存在しているから上告理由がある」としたのですが、最高裁からは2010年2月23日上告棄却、上告審として受理しない、旨の決定が届きました。

終わりに

 本訴訟は原賠法に基づいて提訴されたものであり、本来ならば地方裁判所の段階から最高裁の上告理由書で述べた論点について争われるべきものでした。にもかかわらず一審は、厚生労働省の専門家の審議を経て認定された多発性骨髄腫の診断を誤りとした清水一之医師の意見書に振り回され、無益な診断論に長時間を費やし3年3ヵ月にも及びました。しかも原判決では裁判所が独自に作成した観のある診断基準によって被告側の主張を全面的に認めました。多発性骨髄腫でないのであれば因果関係を論ずる必然性はないにもかかわらず、これを被告側の提出した資料に依拠して因果関係をも否定しました。これは裁判所が控訴に備えてあらかじめ手を打ったとしかいいようがありません。このような判決であれば控訴理由書の論点もまた、診断論ならびに因果関係論にならざるを得ません。高裁判決では診断名は原告の主張が全面的に認められましたが、因果関係では加齢が原因という、これもまた裁判所のユニークな判断で、厚労省の結論を覆しました。

 長尾裁判と同時並行的に各地で争われていた「原爆被爆者集団訴訟」においては、因果関係における“高度の蓋然性”は相当程度緩められてきており、原告側の勝訴が続いていました。長尾裁判においても、もし診断論に長時間を費やさず、原賠法と各地の原爆被爆者集団訴訟判決を踏まえて争われていたならば・・と、心残りがある事は否めません。

 はじめて裁判に関わってみて、国策に沿い、国家権力を後ろ盾にするならば、科学的に証明された真理も道理も無視し得るものであるということを実感しました。このようなことを強いる権力を助ける科学者(?)とは一体何者だろうか? という疑問が深く胸によどんでいます。

 その一方で、電離放射線業務による労災認定のため、多くの団体や個人が運動した成果もあります。喜友名正さんの労災認定を求める運動は長尾裁判の後半とほぼ平行して行われていました。喜友名さんは非破壊検査に従事し、6年4ヵ月間で99.76mSv被ばくし、悪性リンパ腫で死亡されました。多発性骨髄腫も悪性リンパ腫も白血病類似疾患です。喜友名さんは2008年10月27日に労災認定されました[9]。その後認定基準の例示疾患として多発性骨髄腫と悪性リンパ腫が追加されたことは、非常に難しかった電離放射線業務に関わる労災認定に、道を拓いたといえるでしょう。このような運動が労働者の当然の権利を拡大して行く力になることは間違いないと思います。



参考資料
[1] 崎山比早子: 「長尾裁判から見えた市民科学の意義」 『科学・社会・人間』 No.103, 38-44頁、2008年。
[2] 崎山比早子: 「長尾裁判判決批判 ― 多発性骨髄腫を誤診、放射線被ばくとの因果関係を否定」『科学・社会・人間』 No.107, 23-30頁、2009年。
[3] 鈴木篤: 「国策企業の本質が露呈した裁判 ― 東京電力を告発する長尾光明さんの原発裁判が結審、3月28日判決」『原子力資料情報室通信』404号、5-8、 2008年。
[4] 金沢裕幸: 「司法の独立はどこへ? 東電を告発する長尾裁判で不当な国策判決」『原子力資料情報室通信』409号、1−3頁、2008年。
[5] D. L. Preston et al.: 'Cancer incidence in atomic bomb survivors. Part III: Leuke- mia, Lymphoma and multiple myeloma, 1950-1987'. Rad. Res. 137, S68, 1994.
[6] 財団法人原子力安全研究協会 「原子力産業従事者等に関する疫学調査検討委員会報告書」2007年。http://www.nsra.or.jp/katsudo/rad_doc.html
[7]『放射線の線源と影響 原子放射線に関する国連科学委員会の総会に対する2000年報告書』付属書I、397頁。放射線医学総合研究所監訳 2002年 実業広報社。
[8] 厚生労働省「電離放射線障害の業務上外に関する検討会」報告書「多発性骨髄腫と放射線被ばくとの因果関係について」http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/02/s0206-3.html
[9] 渡辺美紀子: 「喜友名正さん、労災認定!原発被曝労働者の悪性リンパ腫で初めて」『原子力資料情報室通信』413号、4-5頁、2008年。


「科学・社会・人間」No.113 2010年7月15日発行 より転載



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