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高木学校通信 第70号(2010年9月30日 発行)

<目次>


夏の学校 in 伊那再び

瀬川嘉之

 猛暑の夏、8月28日土曜29日日曜の両日にわたって、昨年に引き続き長野県、南信上伊那の伊那市にて同じ「ロッジ吹上」に宿泊して夏の学校を開催しました。中央アルプス経ヶ岳を背にした標高約900mの田園地帯にあるロッジの夜から朝はたいへん涼しく、昼間も風通しがよいので、まったく冷房いらずで、すごしやすいところです。 1日目は自然エネルギーツアーと称して現地在住の田中捷一さんご案内により「チェルノブイリ救援中部」等で活動しておられる方々のご自宅や施設を3ヶ所ほど見学させていただきました。2日目はロッジの食堂を兼ねた広間でのプログラムです。午前は市の隣村南箕輪の原弘美さんから集団検診問題、近くに建った携帯電話基地局問題についてロッジの1軒おいて隣に在住の竹内恵子さんとロッジの倉田節子さん、かおるさん母子にうかがい、電磁波シールドをした竹内さんのお宅を訪問しました。午後は高木学校各研究グループの報告と検討を行いました。

1日目:自然エネルギーツアーと夜のプログラム

 昼過ぎ、高速バス停および伊那市駅に到着後、近くの図書館に再集合してすぐにツアーを開始しました。駅からロッジにかけての周辺とはいえ、総勢16名でまわるにはやはり自動車が必要でした。田中さんに車の手配をいただき、昨年はマイクロバスを運転した湯浅さんと今年初参加の日高さんに運転をお願いしました。まず、駅から東に4、5 km、昨年チェルノブイリのお話をしてくださった小牧崇さん宅のソーラーパネルや太陽熱温水器、用水路での小型水力発電を見て、近くの三峰(みぶ)川べりに計画されている清掃工場予定地を高台の道路から眺めました。そこからずっと10 km以上北へ向かい、箕輪町に入った畑の中にある「伊那谷菜の花楽舎」の関浩行さんにバイオディーゼル燃料(BDF)生産設備を見せていただきました。最後に、ロッジに近い小野寺瑶子さんの牛舎でメタン発酵を見学しました。

 夜はロッジの手作り料理を堪能した後に、今年八ッ場ダム住民移転地問題でたびたびマスコミに名前が登場している高木学校の「湯浅欽史元都立大学教授(土質工学)」から国交省委託の大手コンサルタント会社による「実施設計業務報告書」を見ながら詳しい内容を聞きました。国交省の設計条件にはっきり書いてある地下水位がまったく入っていない報告書がまかり通ってしまう現実に一同唖然としました。その後に参加者から書籍『朝鮮人軍夫の沖縄日記』の紹介や10月の催し、9日から11日の六ヶ所「自然エネルギー学校」、16、17日京都の「エントロピー学会」の紹介がありました。

2日目:地元の問題と各グループの発表・検討

 早朝に緑の山河と畑の中を散歩がてら、倉田さんや竹内さんを悩ますソフトバンク携帯基地局の鉄塔を見に行きました。
 朝食後、集団検診の受診率向上に力を入れる南箕輪村で各戸一年分の検診出欠用紙を提出させている状況をうかがって、効果の不明な国家の大方針が地域に貫徹させられるのに驚き、原さんから「みなさんには言いたいことが言えてほっとする」との言葉にかえって日本のムラ社会が今も生きる様子をまざまざと見たような気がしました。
 竹内さん、倉田さんには電磁波過敏症の苦しみと携帯電話会社や鉄塔敷地地主との交渉、家のシールドや避難のことをうかがいました。詳しくはそれぞれの報告をお読みください。便利な技術の陰に発生する被害を知り、携帯電話とのつきあい方を再考する必要を感じました。また、「市民科学者は人の心も考えてほしい」との言葉をいただきました。

 午後の高木学校各研究グループの発表と検討は、以下の通りです。
 医療被ばく問題研究グループ:1月下旬または2月初めの市民講座は、乳がん経験者の方をゲストに、寸劇やがん検診統計に関する発表で構成する方針を決めました。
 化学物質問題研究グループ:ガス化溶融炉の溶融スラグにおける鉛の含有基準と溶出基準について問合せがあり、横石さんが回答した内容を報告しました。
 寸劇部:茂野さんが制作中の紙芝居「ヒバクのはなし」大人編と子ども編を試演して、内容を検討しました。
 くらしプロジェクト:山田さんから「科学技術による解決の限界−『環境問題の社会的構築』を題材として」と題する発表がありました。
 ツアーの見学先で案内してくださったみなさん、ロッジの倉田さん一家、原さん、竹内さん、そして全体の案内役田中さんはじめ、みなさんのご協力により、充実した夏の学校とすることができました。(夏の学校 校長代行 瀬川嘉之)

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身近な自然エネルギーと暮らし方

山見拓

 2年連続となった長野県伊那市での夏の学校。今年は、チェルノブイリ救援(チェル救)のメンバーで昨年もお世話になった、小牧さんの自宅を中心に、自然エネルギーツアーを企画していただきました。小牧さんのご自宅では、太陽光発電装置の他、強制循環式(不凍液使用)の太陽熱温水器、そして、驚くのは、小型水力発電(100Wと300Wの2台)までありました。

 太陽光発電は、80Wのパネルを40枚ならべ、合計で3.2kWの発電をされていました。直流を家庭でつかえる交流に変換するインバーターの寿命の方が、パネルよりもさきにくるかもしれないとおっしゃっていました。また、太陽光パネルは、パネル表面の温度が高くなると、発電効率が少し悪くなるそうで、最大出力で発電できることは、実際にはほとんどないそうです。それでも、見学時には、売電用のメーターが回り続けており、余剰電力を生み出している様子がわかりました。

 屋根への設置は、「ナロジチ再生菜の花プロジェクト」で現地のバイオガスプラントの設計をした原さん(昨年の夏の学校に参加していただきました)にお願いしたそうです。最近では、スペースさえあれば、庭に傾斜をつけたラックを組んで、そこにパネルを設置する方もいるそうです。打ち水のように表面に散水して、パネルを冷やすなど、工夫もやりやすいとおっしゃってました。

 小水力というと、出力が数kWの発電機のことをさしますが、今回みせていただいた「小型」水力発電とは、出力が数百Wのものをさします。白熱電球が数個使える発電機というとわかりやすいかと思います。船舶のプロペラの形をした発電機を、そのまま水の流れの中にいれたり、1.5メートルほどの落差をつくって設置するだけという、とてもシンプルなつくりでした。小さな発電機とはいえ、設置場所である用水路の水の流れは非常にダイナミックで驚きました。

 この小型水力発電でおこした電気は、野外灯や、庭にある野外コンセントにつながっていて、利用することができるようになっていました。庭師さんが、園芸用のバリカンを使った際は、水力発電の電気だとはまったく気がつかず、後で聞いて驚いたそうです。
 太陽光と違って、水の流れさえあれば1日中発電してくれそうですが、秋から冬にかけて水量が少なくなり、ほとんど発電できなくなるそうです。また、水路を流れてくる葉っぱや草などを定期的に除去してあげる必要もあります。

 ここで大切にしたいのは、小さな出力で不安定だからダメだ、と思うのではなく、この小さな出力でどんなことができるか、どんな暮らしができるだろうかと、いろいろと考えてみることだと思います。たとえば、小型水力発電の出力300Wは、家庭で考えるとかなり大きな電力と言えます。60W型のLED電球の消費電力約5Wとすると、10個点灯したとしても50Wです。また、20インチの液晶テレビなら1台50W程度ですので、まだ余りそうです。パソコンだってノート型であれば50Wであれば十分に動かすことができます。そんな風に考えていくと、かなりいろいろな用途に使うことができそうです。問題は消費電力の大きな家電でしょうか。エアコン、電子レンジ、掃除機は、瞬間的な消費電力が500から1000W程度と大きく、ちょっと難しそうです。

 私事ですが、引越をし畳中心の生活になったことがきっかけとり、ほうきとちりとりを使うようになりました。吸う掃除から掃く掃除に変わり、掃除機を使わなくなったのです。
 自然エネルギーは、今の生活の中にそのまま取り入れるのではなく、ちょっぴり暮らし方を変えてみる視点が同時に必要だなと思いました。自然ネエルギーの普及と同時に、ほうきの例のように、それに見合った暮らし方(エネルギーの使い方)に変わっていけるようなキッカケがもっともっと必要なのかもしれません。
 ひょんなことから、私も80Wの太陽光パネルを3枚貸していただけることになりました。小牧さんの取組に刺激を受け、最大240Wの電気で何ができるだろうかと、ワクワクしています。

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バイオディーゼル燃料(BDF)生産施設見学記

奥村晶子

 「化石燃料に代わる再生可能な資源でエネルギーの地域内自給を!」2003年信州伊那谷菜の花プロジェクトは発足した。菜種栽培→搾油→食用→廃食油回収→BDF生産→燃料利用→菜種栽培という流れで、ナタネ循環システムは動いている。この循環は閉じていない。チェルノブイリの大地から放射能を軽減させ、BDFを生産する「ナロジチ再生菜の花プロジェクト」という循環にも連なっていく。

 ディーゼル車はガソリンスタンドで売っている軽油で動くもの、“BDF仕様”の車でなくてはBDFで走れない、と私は思い込んでいた。しかしBDFはそのまま軽油の代替として使えるという。このようにBDFが周知されていない背景には、国の具体的な推進策がないばかりか、改正揮発油等品確法による規制、事業登録の義務付け、軽油引取税などの壁に阻まれている実情がある。また日本では油脂作物の生産が少ないため、諸外国のように新油を使わず廃食油を回収して原料としている。これは循環という思想においては優れているが、安定した品質の確保に大きな苦労を強いられることとなる。しかし「伊那谷菜の花楽舎」の職人魂はひるまない。製造プラントの改良、反応・精製の向上をはかり、努力を重ねている。

 行政の推進・自動車メーカーとの連携・ユーザーの理解を得て活動が結実するよう応援していきたい。

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牛舎とバイオガスプラント見学記

山田千絵

 モーツァルトの流れる牛舎に入る。30年前に建てられたという。整然と繋がれる牛たちの輪郭が、薄暗がりの中で連なって見える。
 一行は、舎の主に伴われて「投入槽」へ。およそ 1.5×0.9メートル、深さ0.5メートル程の窪み。「ほら、ガスが見える!」と驚きの声。プクプクとガスの気泡があがる。

 飼い主の小野寺さんは、なるべく「できたてほやほや」の牛糞を集めて、装置の出発地点(=投入槽)に仕込んでゆく。似たような装置を設置しても、うまくゆく場合とそうでない場合があり、ここでは、故障も少なくガスの供給も安定し*、その質もよく、うまく行っている(何でも、酸性のし尿を一緒にしこまないほうがうまくゆく。元々牛糞にはメタン菌がいるので、調子がいい!)。

 装置のほとんどは地中に埋め込まれており、我々が地上からうかがい知れるのは投入槽。あとは発酵槽、加圧槽(排出槽)及び貯留層の上部に据え付けられたマンホールである。このシンプルだが、もう15年は稼動し続けているという装置は下図のような(主に)コンクリートの構造物である。

*脱硫装置(発生したメタンガスから硫化水素を除去する装置)を使ったのは最初だけ。今では使う必要もないという。

常温発酵型バイオガスプラント
【図】常温発酵型バイオガスプラント

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電磁波公害を知るために

伊那市 竹内恵子

 夏の学校in伊那2010では、私の電磁波健康被害経験談を聞いてくださり、ありがとうございました。頷きながら聞いて下さる皆さんを前に自由にお話させていただきましたが、大筋は消費者リポート「電磁波被害を乗り越え、いま伝えたいこと」にある通りです。いま私は、足尾銅山や水俣、アスベストなどで苦しんできた人々と同じ道を電磁波スモッグに覆われながらトボトボ歩いているのだと感じます。本当に大事な情報は隠される情報の鎖国状態の中で、携帯基地局問題が電磁波公害として認められるまでには残念ながらもう少し時間がかかりそうです。それでも子どもたちが生まれてきたことを喜べる環境を取り戻すため、この問題が早くみんなの常識になるよう、伝え続け働きかけていきたいと思いますし、私も当日お聞きした杉並病のことなど、関心をもって行きたいと思います。

《電磁波公害を知るための参考書籍ご紹介》
■『危ない携帯電話』 荻野晃也著 緑風出版 2007年 :
  携帯電磁波問題を理解するのにお薦めの一冊
■『電磁波から家族を守る』 加藤やすこ著 建築ジャーナル 2009年 :
  第一人者による電磁波対策マニュアル、伊那の記事とカラー写真11ページ収録
■『告発・電磁波公害』 松本健造著 緑風出版 2007年 :
  国会質問のなかで民主党議員が取り上げた一冊、伊那を取材した記事18ページ収録
■『あぶない!あなたのそばの携帯基地局』 黒薮哲哉著 花伝社 2010 年 :
  携帯基地局問題のこれまでの十数年間を網羅・凝縮。
  高遠→東京ウォーク220kmの記事も収録
■『建築ジャーナル9月号』
  特集知っておきたい電磁波の健康影響 企業組合建築ジャーナル 2010年 9月号 :
  携帯電話会社の人体実験を許すな、身体に影響しない電磁波は一切ない、など

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〜電磁波過敏症 生き方として選択するまで〜

伊那市 倉田かおる

 本来、人間の体は、外的環境から受ける化学物質や電磁波などをほどよく調整し、生きる力を持っています。
 しかし、過度の影響を受けたとき、症状となって現れ、体自身が「危険だよ」という信号を出します。「過敏症」「アレルギー」さまざまな呼び方がありますが、携帯電話会社が日本の経済を支えている今日、電磁波による被害の症状を診てくれる医師は数えるほどしかいません。

 人体には「直流電流」が流れています。携帯電話基地局から発信される電磁波は「交流電流」だそうです。そのため、体内のバランスをさまざまな形で崩します。症状は人により異なります。わたしは、電磁波の影響を受けると、呼吸困難、頭痛、動悸、しびれ、一時的な記憶喪失、肩の痛み、吐き気、鬱的精神状態、味覚障害などの症状が出ます。電源の入ったケータイに、反応します。マナーモードでも同じです。

 自宅のそばの携帯電話基地局は、2001年から電波を出し続けています。強力な電波が各方向に照射されています。我が家は、その電波が強く当たる角度に位置しています。電磁波測定器で明らかになった事実です。2001年以降、自宅の庭や畑に奇形植物が出るようになりました。それでも私自身が「ケータイユーザー」でした。昨年の秋に「電磁波を調整するわたしの体のバケツ」はいっぱいになり症状があふれ出し「電磁波過敏症」を発症しました。隣家に住む女性が発症し、症状がそっくりだったことでわたしの体調不良が「電磁波のせい」だと知りました。ケータイはもちろん解約。自宅で眠れない、食事もできない、蛍光灯の下では息ができない、PCも使えない、人の集まる場所には行かれない、居場所がない、生きる気力を失う、泣いてばかりいるようになる。一番つらかったことは、家族にその苦しみを分かってもらえないと思った時です(家族も矛盾の中にいたのです。わかってもらえないとはわたしの思い込みです)。そんなときに、支えてくれたのは先に電磁波過敏症を発症し、苦しみを知っている友人達でした。友人一家は、私を笑わせ、あなたが必要よと言ってくれました。家族とぶつかり、泣いてばかりいた私に「今は、電磁波のせいで苦しんでいるのね。でもね、どんなに倒れても、植物が光を求めて伸びるようにあなたの魂は光を求めて立ち上がる」と言ってくれました。私には、電波が届かない圏外が必要になりました。大きく呼吸できる場所。そして、話を聞いてくれる人が必要でした。そうでなきゃ、私は死んでしまっていたかもしれません。現代にうつ病や自殺が多いことが理解できます。

 「電磁波で体調を崩す方がいます。ケータイの電源は切ってください」私が出かけるイベントではこのようなアナウンスをしてもらえるようになりました。今まで、「電磁波過敏症」は苦しいばかりでした。苦しくて行けない場所は増えましたが その分、配慮してくれる人々の愛に守られています。電磁波過敏症という生き方を選択します。私が行く先々では、人々にケータイ電源切ってねと言わなければ、居場所はありません。それを、「ご迷惑かける」こととして受け取る人もあるでしょうが 私は、私が行く場所が楽しくなると予感しています。人々は、目の前の人との会話を楽しむようになるでしょう。「電磁波」に敏感であることは、今後も私の生き方になっていきます。でも、これ以上の電磁波を浴びるのはこりごりです。事実と体験を笑顔でユーモアを携えお伝えできるように努力していきます。

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サポート丸航海日誌「大間原発訴訟始まる」

大間原発裁判と浜岡原発裁判弁護団 内山成樹(ブドリ会員 東京)

 下北半島北西部の大間町で計画された原発に対し、差し止めのための民事訴訟と行政訴訟が、2010年7月28日、函館地方裁判所に提訴されました。建設されているのは青森県の大間町ですが、一旦事故が起こるともっとも大きな被害を受けるのが函館市ということから函館地裁に裁判が起こされたものです。私は、その代理人の一人ですので、この裁判がどのようなものかの概要をご説明させていただき、皆さんに関心をもっていただこうと本稿を書かせていただくことにしました。

 まず、この原発の大きな特徴の一つは、フルMOX燃料を使用するものだということです。MOX燃料は、とても危険なプルトニウムを混合した燃料で、燃料の全てをMOX燃料とするというのは、世界に例を見ないものです。MOX燃料には、燃焼が均一にできるかなどの問題点があり、危険を伴う可能性があります。

 この原発のもう一つの大きな問題は、地震についての評価が甘いのではないかという点です。この原発の設置許可がおりた後、東洋大学の変動地形学の渡辺満久教授は、敷地の北側に東西に走る巨大な断層があることを指摘しました。新しい耐震設計審査指針でも、変動地形学による検討が重視されなければならないことになっていますが、この場所で、変動地形学によって、新しい断層があることが分かったのです。そのため、今、事業者の電源開発は、あわてて新しい調査を開始しています。そんなことで本当にこの原発は安全だと言えるのでしょうか。

 次の特徴は、この原発が火山帯に建設されるものという点です。日本では鹿児島の川内原発とこの大間原発だけが火山帯に建設されています。川内原発では敷地を火砕流が襲った記録がありますが、この大間原発の地下にもマグマが上昇してきたことがあることは地質図からも良く分かります。火山帯では、新しい火山がどこにできるかわかりません。昭和新山のように、全く火山などなかったところに、突然火山が噴出すということもありますから、原発の敷地に火山が噴出す可能性も否定はできなさそうです。また津軽海峡にも海底火山があり、それが大規模噴火をしたら、津波が原発を襲う可能性があります。こうした危険性に対しては、耐震設計についてあるような国の指針もないありさまなのです。

 今、原発の耐震設計は、中越沖地震や浜岡原発近くの駿河湾地震によって、想定以上の地震動となったことから、見直しが進められつつあります。中越沖地震によって、想定を大幅に超える地震動の襲った柏崎刈羽原発はまだ止まったままですし、浜岡原発についても、なんで想定以上の地震動が襲ったか、まだ原因究明ができていません。浜岡原発の原因究明の過程では、これまで行われなかった地下の構造を探求する技術も動員され、地下構造についての詳しい情報が得られています。しかし、この新しい技術による地下構造調査は、他の原発では全く行われようとしていません。ともかく動かしたい、そのためには余分なことはやりたくないということのように思われてなりません。しかし、原発の甚だしい危険性からしたら、そんなことが許されるなど、とんでもないことだと思います。

 どうかみなさんにも、この原発の問題にぜひ関心を寄せていただきたいとお願いしたいと思っています。



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