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高木学校通信 第85号(2013年3月28日 発行)

<目次>


第16回市民講座:市民講座開催にあたって

全体司会:千葉優子

 寒い中、またお忙しい中第16回高木学校市民講座(※)に参加してくださった皆様、本当にお疲れ様でした。そして、机運びを手伝ってくださった方や自ら発表者となってご意見をまとめてくださった方など、一緒に市民講座を作り上げてくださった皆様にお礼申し上げます。

 原発事故から2年が経ちましたが、原発事故やそれによる放射能汚染への関心が薄れてきたように感じます。その原因は、「気をつけてもどうしても被ばくするから気にしてもしょうがない」という諦めと、「気にすることがストレスになるから考えない」「ただちに健康を害するものじゃないから気にしていない」といった、リスクが見えないことによる関心の薄れがほとんどだと思います。

しかし、被ばくは“足し算”です。気をつけることを止めてしまえば、内部・外部ともに被ばくは抑えられずどんどん体内に蓄積され、DNAは破壊され続け、将来何らかの疾患となって健康を害する確率が高まります。

 そこで、高木学校では、被ばくが原因の“可能性がある”様々な疾患に焦点を当て、被ばくの危険性を訴えていこうと考え、今回の市民講座のメインテーマにしました。「放射線(特に低線量)被ばくが原因です」と言い切れない疾患が沢山あるにもかかわらず、その証明が困難を極めることから誰も触れず、「無い」ことになっているという現状があります。その中で、我々市民の気付きや思いに科学の視点を加え、世に訴えかけていくことが、高木学校の使命だと考えております。

※注
 講座の正式タイトルは、高木学校第16回市民講座「原発事故から未来のいのちを守れるか? Part2 - 講演:がん以外の健康影響、食品・水域汚染 - 参加者の話し合い&発表:未来のいのちのために、どんな社会をつくるのか?」でした。
 市民講座で扱ったテーマやプログラムにはどれがメイン、サブということはなく、「未来のいのちを守る」ために、あらゆる視点からの問題解決が必要であるという講座の主旨になっています。プログラムの順に内容を掲載しましたので、各担当者からの報告をご参照ください。

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低線量発がんのリスクと非がん性リスクが無視される理由

崎山比早子

 福島原発事故以来、低線量放射線のリスクを軽視する傾向がこれまで以上に強まっている。目の前に汚染地があり平常時の線量限度を適用すれば数十万にのぼる住民を新たに避難させなければならないのであるから、その数を抑えるためには放射線は危険ではないという理論に転換してしまう方が簡単で、安上がりでもある。これは電力会社と原子力を推進する政治の論理である。その論理の背景は国会事故調の調査で明らかにされている。電力会社にとっての最大のリスクは原子炉を長期間停止することであり、このリスクを避けるために原子力安全保安院などの規制当局に働きかけて規制の基準を緩めていた。規制当局の方も電力会社の言いなりになっていた面が多く、これを国会事故調では“規制の虜”と表現した。放射線影響に関しても原子力安全委員会やICRP委員を含む放射線専門家に働きかけて規制を緩めることに成功していた。ICRP委員の国際会議への出張旅費を長年にわたり電事連が支払っていたことも明らかになった。

 発がんのメカニズムはDNAの複雑損傷の修復ミスによる変異及び遺伝的不安定性が引き金となり、変異の蓄積によって最終的にがんになると考えられている。放射線の持つエネルギーがDNAを結びつけている化学結合エネルギーよりも桁違いに大きいのであるから放射線の飛跡が1本通っても複雑損傷は起こりうる。したがってがんの原因になり得るので、放射線には安全量がないということが国際的合意になっているのはきわめて自然なことである。

 放射線による非がん性疾患として高血圧、心臓・血管系の疾患、白内障、糖尿病、神経障害、学習障害、免疫力の低下等々の増加がチェルノブイリ原発事故被ばく者で報告されている。これらの疾患を同時に抱えるのが加齢の特徴であり、放射線は加齢を促進させるとも考えられている。放射線が細胞を透過するときに生じる活性酸素類が細胞の老化を促進する。高血圧は血管内皮細胞の老化によっても起きることが分かっており、その他多くの非がん性疾患が引き起こされるメカニズムも、活性酸素類の傷害作用とからめてこれから研究が進むであろう。

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体内における放射性セシウムとカリウム

瀬川嘉之

 原発事故で様々な放射性物質がまき散らされました。特に広範囲に量の多かった放射性セシウムが体内に入って生じる内部被ばくを考えます。

 ナトリウムやカリウムは、海水など自然界にありふれていて、生物の体内で重要なはたらきをしています。細胞を包む膜には、ナトリウムだけを細胞外に出し、カリウムだけを細胞内に入れるポンプのはたらきをするタンパク質がついています。細胞内外の濃度差や電位差を一定に保ちつつ制御することによって、物質の出入り調整や電気的な情報伝達をしているのです。セシウムはカリウムによく似ているので、この膜から細胞内に入ります。細胞膜にはカリウムだけを細胞外に出すカリウムチャネルもあります。ところがこのカリウムチャネルからはセシウムはカリウムの5から50分の1しか外に出ません。そのため放射性セシウムが体全体に残る半減期は大人で100日程度と長くなります。細胞によっては、体内に入るセシウムが微量であっても時間が経つほどにたまっていくかもしれません。

 自然界にあるカリウムの中で約1万分の1が放射性です。大人で体内に約4000ベクレル存在し、内部被ばくが生じています。一方、1キログラムあたりに放射性セシウムが10ベクレル入った食品を毎日食べ続けると、一般的なモデル計算では1400ベクレルで一定になります。4000ベクレルに対し、3分の1以上の1400ベクレルが上乗せされるのは少ないと言えるでしょうか。チェルノブイリ原発事故では、1400ベクレルを大人の体重70キログラムで割った1キログラムあたり20ベクレル程度から健康影響があるという報告があります。

 今後も食品中、環境中の放射性セシウムを測定し、注視していかなければなりません。


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食品の安全は守られているか? 

奥村晶子

 昨年の市民講座の「たべもの」では、長期化した放射能汚染対応として、あらゆる角度から食の汚染を遠ざけ健康を保つための提案をしました。この一年、新基準値の施行もあり食品汚染はどうなったかを調べてみました。

 【人体の汚染状況】では、内部被ばく検査結果から今後の課題を探りました。汚染食品の継続的摂取が人体汚染に反映しており、食生活への注意が改めて確認されました。

 【食品の汚染状況】では、事故後、実際に食卓に上がる食品はどの位汚染されているかを調べました。食品中の放射性セシウム摂取量に関する「マーケットバスケット調査」と「陰膳調査」を取り上げ、事故前後で摂取量が激増していることを指摘しました。さらにこの結果について、「公衆の年間被ばく線量1mSvを大きく下回るもので安全である」と結論付ける調査実施者側の考察に異議を表しました。

 【食品規制の検討】では、有効な規制について考察しました。新基準値施行の2012年4月を境に出荷制限はどう変わったか、新たに浮上する問題は何かを報告しました。またチェルノブイリ事故後のウクライナにおける食品規制の変遷と人体汚染の関係から、“有効な”食品規制を考えました。「流通する食品が確実にクリーンであるために、規制を謳うだけでなく正確な管理が重要である」「継続的汚染状態の日本においては、摂取量・高汚染食品・供給量など状況に応じた規制の見直しが常に必要である」など。現在の食品規制で事足りるとする政府とそれに甘んじつつある世論に警鐘を鳴らしました。

 避けられる被ばくはできる限り避けて、健康被害を最小限に止めたいと思います。そのための正確な情報をこれからも追求していきます。

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水域の放射能汚染 <十数年ぶりの市民講座>

板橋志保

 市民講座で講演するのは十数年ぶり。環境ホルモン?同じく単位や下限値の話をした。2年前市民講座で寸劇『医療被ばく問題入門篇』上演。本格的に全国出前開始予定が、直後こんな大惨事が起こるとは、、、(寸劇部休部中)。

 陸域では空間線量や土壌放射能の測定が進み、放射能汚染がわかってきた。一方、川や海の汚染状況は陸に比べわかっていない。陸地は放射能測定機で測る事は素人にも可能。しかし川や海は、船、水・土を採る道具が要り容易でない。

 とはいえ、国等が調査しており、結果を紹介した。放射性セシウム濃度の経年変化は、水・底土・魚とも2011年が突出して高い。
 水環境でセシウムの多い所は、河川敷土壌>川底・湖底>海底>水。千葉の湖底土で2万Bq/kg検出(東京埼玉神奈川は未実施、調査すべき)。大量の放射性物質が原発から大気や海洋に出、水に入り或いは陸に落ち、雨で川に流れ、川湖海底に堆積。
 魚介類汚染は種類・生息地で異なる。体内セシウム濃度は淡水魚>海水魚>貝やイカ蛸。海水魚表層性(小女子等)・回遊性(鰯等)は濃度低下。一方中層性スズキは濃度高く、時々基準超過。底魚(メバル、アイナメ等)は特に濃度高く、基準超過多。魚セシウム最高値14万Bq/kg(3月74万)。

 蛇口水道水のセシウムは、東京都発表は不検出(0.2Bq/kg未満)。低い値まで測ると、東北・関東の都県は検出(0.002程度)、他県は不検出。低濃度でも毎日沢山摂るので大きい。初期の高濃度は落ち着いたが、汚染が続いている現実。

 自分の調査結果でなく、他のデータを話すことに居心地悪さを感じている。現在私は調査や測定手段を持たず、大事な時に調査できずもどかしい。
 ただ、膨大な測定データがあり、整理して分かりやすく解説する役割も必要であろう。専門家と一般の人を繋ぐ通訳役割。元々卒研以来水環境特に川湖海底土を扱っており、昔取った杵柄が生かせそうだ。放射能汚染は何百年も続く、水域汚染の事をずっと言い続けたい。

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午後の部「参加者の話し合い&発表 - 未来のいのちのために、どんな社会をつくるのか?」

山田千絵

 福島での原発事故から2年が経ちました。放射能の環境汚染は、長期間にわたり生物に影響を及ぼしてゆく可能性があります。それでも、事故前よりも放射線の空間線量率が高くなった地域で多くの人々が暮らしています。このような事態を二度と引き起こさないために、原子力発電に依存をしない社会をつくることの必要性が、多くの参加者に共有されていました。

 午後の部では、原子力発電に依存しない社会を、どのようにつくっていけばいいのか、A,B,C三つの観点から、参加者とともに話し合いを行いました。
 A「被ばくをしない、被ばくをさせない社会(担当:瀬川嘉之)」,B「地域での雇用とエネルギーの地産地消を両立できる社会(担当:山田千絵)」,C「環境に負荷を与えないライフスタイルを実践できる社会(担当:山見拓)」のいずれのテーマで話し合いたいのか、事前にエントリーをして頂きました。高木学校の市民講座ということもあり、「被ばく」に関心の高い参加者が多く、現在の状況を容認できないという意見が相次ぎました。福島の現状に対して、被害者救済のために何をすべきなのか。あるいは、これからの政策をどうするのか。こうしたことが話し合われました。夏頃までに発行となる報告集では、この話し合いの内容を丁寧にご紹介します。速報として、高木学校のホームページの活動ブログには簡単なまとめを掲載しましたので、よかったらご覧ください。

 これまでの世の中のしくみは、原子力をはじめとするエネルギー資源をたくさん使うことを前提に成り立っていたと思います。こうした中で、政策の転換ももちろんのこと、市民(政府・企業も含む)が、自らの生活や価値観を見直すことができるのか、また、代案をどこまで出してゆくことができるのか。粘り強く、このような話し合いを続けてゆく事が大切だと思いました。

 このプログラムは、参加者自身が積極的に意見を求められるハードルの高いものでしたが、多くの方が最後まで参加してくださいました。みなさまに改めてお礼を申し上げます。

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第16回市民講座感想

齋藤賢一

 この度は、高木学校第16回市民講座に参加させて頂き、有難うございました。
 内容は、放射線の健康への影響や、食品の安全面の問題、水域汚染といった、身近な切り口で、具体的かつ詳細な調査、分析がされており、大変興味深いものでした。原発事故や放射性物質の影響の問題は、環境や条件は常に変化し続ける上、遺伝など先天的な要因も関係しており、またそれらが複合しているため、ある事象とその原因とについて、明確な因果関係を立証することが難しい問題であると思います。
 しかし、これらの調査のように科学的な発想で、一つ一つのテーマについて因果関係を立証しうる客観的な事実を積み重ね、仮説を立てた上で、適切な対策をアクションとり続けることが、リスク回避につながり、現実的な改善への取り組みになっているのだと思います。
 もう一つ感じたことは、「市民としての視点」を持つことの重要性です。原発の問題は、経済性や、エネルギーの供給という側面もあり、その背後で安全性が独り歩きしてしまったのではないかと思います。「市民としての視点」を持つとは、実生活にもとづいて考えることであり、安全性を最優先することですので、原発に限らず「市民としての視点」を持って議論していくことが必要であることの教訓とも思えます。
 有意義な時間を過ごさせて頂きましたので、今後も機会があれば、また講座に参加させて頂きたいと思います。有難うございました。

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高木学校市民講座に参加して

岡崎るみ(放射能から子供を守ろう安中の会)

 福島第一原発事故後、本やインターネットを中心に情報収集していた私が初めて参加した講演会が、昨年2月の高木学校市民講座でした。そして1年後の今回も参加させていただき、この1年の間に、自分には何ができたのだろうか、と考えながら、会場に向かいました。
 会場に入ると、昨年よりも参加者の方が少ないという印象を持ち、それは、世間一般に原発事故が風化していることを表しているように感じました。

 講演内容で特に印象的だったのが、「現在、被曝の健康影響を考えるとき、体のどの部位でも放射線を均等に浴びていると考える」前提がある、という瀬川さんのお話でした。しかし実際には臓器別では差異あり、またそれが細胞レベルになると、どの程度の個体差があるのかは分からないのが現状、ということでした。そのお話を聞き、今、自分の目の前にある情報は放射線の一側面にすぎず、「絶対的安全」はないのだと、改めて思いました。

 二部の意見交換では、自分が日頃疑問に思っている、「目の前にある原発・放射能の問題に目を向けようとしない日本社会」について問題提起させていただき、多くの方のご意見をいただきました。この、目の前にある問題に目を向けない、という体質を、私は原発・放射能問題のみならず、現代社会における様々な問題の根底にある深い闇のようだと感じています。

 福島第一原発事故は、原発を維持し続けることは、誰かを犠牲にすることだと露呈しました。
 私には2才と5才の娘がいますが、この誰かの犠牲の上に成り立っている社会構造を、私は娘たちに説明できません。
 私たちの目の前にある高く分厚い壁が、少しでも風通しのいいものになるように、一人の力は小さくても、川の流れを変えるには、やはり、そのひとりから始まるのだと思います。

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放射能学習会 高木学校・奥村晶子さんを迎えて

島幸子(エコ桜委員会委員長・環境カウンセラー)

 生協パルシステム東京には、環境について共に知る学ぶ、そして生命・暮らしを大切にする活動委員会が、地域ごとにあります。城北地区のエコ桜委員会では『低線量放射線の人体影響と防護と福島原発の今(人災から2年)』を企画し1月19日にお話を伺いました。

 人々は今、福島原発事故を過去のこととして感じ始めているのではないでしょうか。私たちは「東京に住む人々も低線量放射線を浴び続け、人体影響があると思われる。防護はどうしたらいいのか」「事故から2年の真実」を知りたいと、組合員に呼びかけました。当日のお話は、14ページもの資料に沿ったわかりやすいものでした。交流会では、活発な質問意見に先生は丁寧に対応されていました。事故を自身の問題として福島の人々の痛みを忘れずに話されているから、大切なことが伝わるのだと感じました。

 「放射線に安全量はないという前提で防御を行う」という国際的な合意事項、発がんの「しきい値なし直線説」、「放射線によりDNAが傷つき、細胞の変異が起き、変異が蓄積する」ことを伝えてもらいました。このような話を聞くたびに「脱原発」と心がはやります。当日の参加者も皆そう思われたようでした。

 「子どもと大人の臓器別セシウム137蓄積量」「ベラルーシにおける甲状腺がん発症推移」「高汚染地区の子どもの健康状態」等のデータも紹介され、わかりやすい表の読み方も聞き、放射能の礎を学び直すことができました。

 被ばくを防ぐ上で食品選びは重要なポイントです。水産物汚染は、産地情報がわかりにくい上に予測不能な部分が多く、調査が急がれる現状とのこと。乳歯・毛髪の一部など自分のための記録保存をする、市民放射能測定室や健康センターを持つことが、身を守ることに繋がるとのことでした。(福島では市民による「福島診療所」、東京では市民による「放射能測定所(ゲルマニウム)ちくりん舎」建設中、基金募集中)学習会は、参加者の熱のこもった発言に一時間ほど延長となりました。

 次にエコ桜委員会を紹介します。2010年4月「家庭の生ごみを燃やさず堆肥作りし土に還す」講習会に参加した人々を中心にスタートしました。近年、焼却場の周辺には樹木の衰退が見られます。桜は花びら5枚・がく5枚が正常ですが、花びら4枚・がく4枚などの異常花が見られます。つつじ、椿にも異常があります。こうした現象の原因の一つに大気汚染が挙げられます。暮らしの中でできる対策として、燃やさずに生ごみを処理する方法があります。生ごみを腐葉土と混ぜることで、自分の10本の指で資源化できるのです。ここに気づいたことが、よりよい食・暮らしを大事にするエコ桜委員会の発足となりました。

 現在気がかりなことがあります。風力発電・太陽光発電の固定価格買取制度が始まり、経済を視点にしたエネルギー政策が取り入れられています。しかしまだ不明な点や20〜30年後の廃棄の問題等、納得のいかない部分を感じています。

 環境問題=ごみ問題なのではと思う時があります。スイスでは葉っぱ一枚も燃やせない「大気汚染防止法」があると聞いています。日本では「清掃法」によりごみは燃やして処分です。同じ地球上なのに・・・と思ってしまいます。せめて暮らしのごみを出さない工夫や、生ごみの資源化で燃やさないようにしてゆきたいものです。

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ふだん着の仁さん64 小野周先生と小野ななさん

高木久仁子

 福島原発事故の年、秋に突然、小野周先生のお嬢さんの小野ななさんから、仁三郎が亡くなったことを知り、と私へ手紙が届きました。小野周先生は、原子力資料情報室を発足当初から支えて下さった方で、スリーマイル原発事故後作家の野間宏さんと共に「原発モラトリアムを求める会」を代表して資源エネルギー庁へ要請する等々、物理学者の社会的責任を問うて来られました。1995年に76歳で亡くなった時、仁さんは「先生と初めて言葉を交わしたのは今からちょうど20年前のことで、当室の黎明期ともいえる頃のことであった。当日、小野先生が訪れてくるというので私はやや緊張して秋元ビルの5階の部屋で待っていたのを憶えている。私はまだ30代半ばで大学を辞めたばかり、大学のポストを捨てた無謀さは先輩諸氏からはたいへん不評で叱られるばかりであったから小野先生にもいきなり怒鳴りつけられるのではないかと思っていた。私は先生に直接物理を習ったことはなかったが、先生の名は『鬼の小野周』として知られていた。試験の採点が厳しく、学生がつけたものらしいが、そんな評判から、私はてっきり鬼のような人かと想像していたのである。これほどはなはだしい誤解もなかった。先生は初対面の若造の私をまったく対等な相手として終始にこやかに穏やかに話をされ、私のことについては『がんばって下さい。できるだけのお手伝いをします』とだけ話された。運動をやっていると常にがんばって自己主張をし、自分の立場の一貫性を貫くことを潔癖の証としたがるもので、私も例外ではなかったが、小野先生はいつもそういう狭小な党派性から自由であり、肩の力を抜いて色々な立場の人々と付き合っていた。それでいて、反原発運動の場で、重要な場面では決然と筋を通された。しかも物理学会の会長になっても、群馬大学の学長になっても、私たちに接する態度に少しのかわりもなかった」と原子力資料情報室通信252号に追悼文を寄せました。

 情報室通信の前身「原発斗争情報」に寄稿された記事を読む他は、1978年開催の「ビキニ島汚染問題検討会」、1983年の「原発斗争情報」第100号記念パーティの写真で小野先生の姿を知る程度の私は、ななさんからの手紙に驚きました。その後彼女に会うことになったのですが、小野先生に似ているのです。娘が語る父娘間の確執に思わず失笑しつつも、関心をひかれました。父の没後アートの世界に飛び込んだ、とのことで昨年は琵琶湖の南にアトリエを移す準備で奮闘中でした。そんなご縁で、かつて先生のお宅に植わっていたリュウゼツラン、デイゴ、サボテン、ハマユウなどがかまねこ庵へやって来ることになりました。95年以来ななさんはスペイン、フランスや日本で個展やグループ展に多々出展。彼女は「1995年、立体『卵』の制作活動を開始したときからのテーマである環境問題に、警告メッセージを織り交ぜて作品を発表しています。地球上に住み同じ赤い血を持ちながら、争いの自縛から逃れられない地上人類の三色の肌色を、漆黒の『墨』、黄茶『珈琲液』、象牙色『和紙』に置き換え、地球全体にかかわる破壊と殺戮、やるせない気持ちを画面に封入させ、制作してまいりました」と作家の弁を述べています。4月7日から13日、京橋のギャラリー檜で小野なな展が開催されます。ななさんは、お父様の生き方を、表現は違いながらも受け継いでいるように思えます。

 NANA ONO ART GALLERY[ http://sevenegg.cside.com/]をご覧ください。

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首都圏からの疎開(その2)

田子博史(石川・ブドリ会員)

 震災から1週間後に妻子を金沢市に避難させ、川崎の自宅へは自分一人で戻った。そのまま親子離れ離れの生活が1年余り続いた。悩んだ末に移住を決意し、会社を辞め自宅も売却した。
 経済的な不安を抱えながらも親子水入らずの生活が戻った。地元の人に「放射能を恐れてこちらに越してきた」と言うと、「福島でないのになぜ?」と怪訝そうな顔をされた。「北陸避難者の会」があることを知り、集まりに顔を出した。首都圏からの避難者が大勢いて安心した。避難を決めた多くは、放射能の危険性を肌で感じ取った母親たちだった。中には北陸に来てから、アパートを下見した時は問題なかったのに、入居時に内装が新しくなっていて、そこには住めなくなったという人がいた。原因は化学物質でなく放射能だという。だとすると、線量の高い壁紙が出回っているとしか考えられない。

 北陸でも震災ガレキの受け入れ話が次々と進められていった。「子どもたちを放射能から守る石川の会」にも迷わず入った。市民説明会では、岩手からの不燃物(漁具・漁網)受け入れに不安を覚える住民からの追及に、市長がキレかかっていた。それでも市議会では賛成多数で可決された。 ガレキの試験搬入には、受け入れに賛成・反対双方の市民が大勢駆け付けた。「放射能は検出されませんでした」と発表する職員に対し自分は「検出限界は?α線やβ線は計測しているのか?」と質問。5Bq/kg、γ線のみ計測の回答を得たが、直後に地元メディアから取材を受ける。「5Bq/kgの値は高すぎることはないと思うが、ストロンチウムや他の核種の存在は否定できないので自分は今後も反対の姿勢を貫く」と返答。すると見知らぬ人から「あんたは自分勝手だ。被災者のために何かしてやったことがあるのか?」と怒鳴られた。市議会議員やNPOに「被災地、特に福島の子供たちを金沢へ保養に来てもらうことに協力したい」と自分が申し出ていたことをその人は知る由もなかった。

 高木学校の市民講座(第16回)では多岐にわたるテーマで熱心な議論が行われ、参加者の意識の高さを実感した。ただ、その多くは「社会問題」と呼ぶべきテーマであり、それに市民科学がどう関われるか、そして政治を動かせるのか、様々な思いが頭をよぎった。
 首都圏にも数多く存在するホットスポット。東北から関東に広範囲にわたり降り注いだ放射性物質。そして、かつてない深刻な海洋の放射能汚染。だが首都圏からの脱出どころか避難区域だった土地への帰還を奨励する政府。チェルノブイリ事故を学べば、日本の公害の歴史を紐解くまでもなく、それがどのような結果をもたらすのか容易に想像が付く。いま、市民科学の存在意義が問われている。



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