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コラム

2009年03日12日 up

長尾裁判判決批判 多発性骨髄腫を誤診とし、放射線被ばくとの因果関係を否定

高木学校 崎山比早子

はじめに ― 判決まで ―

 長尾光明さんは東京電力福島第一原子力発電所などで配管工や現場監督として4年3ヵ月勤務され、蓄積線量70 mSv被ばくしました。退職してから16年後、M蛋白血症(後述)、第3頸椎の病的骨折と左鎖骨の骨融解を起こし、多発性骨髄腫と診断されました。長尾さんは多発性骨髄腫に罹患したのは被ばく労働が原因だとして労働災害申請を行いました。これを受けて厚生労働省は、血液の専門家も含む「電離放射線障害の業務上外に関する検討会」を設け、多発性骨髄腫と放射線被ばくとの因果関係の検討を諮問しました。検討会は、長尾さんが多発性骨髄腫であること及び被ばく労働との因果関係を認めましたので、福島富岡労働基準局は2004年1月労災認定を行いました。長尾さんが労災認定されてもなお「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」に基づいて東京電力に対し損害賠償を求めて提訴したのは、劣悪な労働環境で働かされている原発労働者の力になりたいと思われたためです。亡くなられる直前の2007年12月7日に病状悪化のため出廷できず、鈴木篤弁護団長が代読された長尾さんの最終意見陳述書は「・・日本の原子力発電所の暗闇を照らすような判決を下されることを切に願います」と結ばれていました。その後、長尾さんは病状が急速に悪化したため、判決を知ることなく亡くなられました。彼の強い願いにもかかわらず2008年5月23日東京地方裁判所、松井英隆裁判長から言い渡された判決は「原告の請求を棄却する」でした。長尾さんのご遺族はこの判決には到底納得できないとして直ちに東京高等裁判所に控訴されました。

 裁判の主な争点は2点に分けられます。第一は長尾さんの疾患が多発性骨髄腫であったかどうかについての診断論、第二は放射線被ばくと多発性骨髄腫との因果関係の有無についての因果関係論です。労災認定されているにもかかわらず、3年3ヵ月もの長きにわたって争われた裁判の後半1年半以上は第一の診断論に費やされました。この点で被告東京電力に大きな力を貸したのは日本を代表する多発性骨髄腫の権威、名古屋大学大学院医学研究科の清水一之教授でした。清水医師が4回にわたって提出した意見書の誤りや矛盾を弁護団が指摘していった経緯は「科学 社会 人間」103号38-44頁[1]及びhttp://takasas.main.jp/column_080405.phpに詳しく述べましたので参考にしてください。


判決 ― 清水意見書を超えた裁判所の判断、その問題点 ―
第一の争点: 長尾さんの疾患が多発性骨髄腫であったかどうかについて

 裁判所は「長尾さんが多発性骨髄腫に罹患していたとは言えない」としました。しかし、それでは何の病気にかかっていたのかについては全く触れていません。判断は2003年の国際骨髄腫作業グループによる診断基準[2]に基づいたと述べています。その基準は以下の3点を満たすものです。

1) 血清/尿にM蛋白が存在すること。[(著者注)M蛋白とはmonoclonal(単一クローン性)に増殖した形質細胞から産生される免疫グロブリン]
2) 骨髄における(クローナル)な形質細胞、あるいは形質細胞腫の存在
3) 関連する臓器あるいは組織障害(複数の骨病変を含む最終器官障害)

 長尾さんはその発症のはじめから血液中のM蛋白が高値を示しており、9年間一貫してIgGλという種類でした。この点に関しては原告、被告間に意見の不一致はありません。 3)の要件である複数の骨病変に関しても、第3頸椎、左鎖骨、左側頭骨、右鎖骨の4ヵ所に次々に骨融解が起きており、否定のしようがありません。この裁判中で最も問題になっていたのが2)のクローナルな形質細胞の増殖でした。前にも書きましたが、清水医師は執拗にクローナリティの証明がないと追求してきていました[1]。この点に関しては、2007年10月に右鎖骨の骨融解が現れたときに病巣部の免疫染色を行い、形質細胞の増殖と形質細胞の表面抗原が染まるクローナルな細胞の証明がなされ、その細胞質中にIgGλが染色されました。これで診断基準はすべて満たされ、常識的には多発性骨髄腫の診断が確定します。それにもかかわらず、何故裁判所はなお多発性骨髄腫を否定したのでしょうか?

 4回目の清水意見書が提出されたのは右鎖骨の骨融解が現れ、形質細胞のクローナリティーが証明される前でした。それでも二番目に起きた左鎖骨の骨融解の時には、その融解に先立ってM蛋白が増加したことから清水医師もこの骨融解を「これがクローナルな細胞の増殖によると考えるのは無理はない」と認めていました。ただ、清水医師は第3頸椎と左側頭骨の骨融解を無視して、骨融解はこの左鎖骨ただ1ヵ所であり、しかも骨髄における形質細胞の割合が10%を超えたことがないので多発性骨髄腫とは言えないとの意見でした。そして、診断としては当初は希なMGUSと更に希にしか見られない孤立性形質細胞腫の二種類の疾患に罹患しているとしました。更に側頭骨の骨融解が起きた時点ではMGUSおよび、専門家以外には名前も知られていない多発性孤立性形質細胞腫が併存していると診断名を変えて、外国の権威に同意を求めたのでした[1]。清水医師が多発性骨髄腫を否定する理由として挙げたのは「骨髄における形質細胞の割合が10%以上」と「M蛋白以外の免疫グロブリンの減少が見られない」などという診断基準にない条件でした。この点に関しては、裁判所はこれ等が多発性骨髄腫の診断基準にはない、という原告側の主張を認めています。

裁判所独自の診断基準

 しかし、それからの裁判所の判断は非常に“独創的”でした。清水医師が認めた左鎖骨の骨融解が「クローナルな形質細胞の増殖によると考えるのは無理はない」ということについても「証明されていない」という理由で却下しました。さらに、診断基準の2)と3)の条件を融合し、裁判所独自の診断基準を作った感があります。それは「複数の骨病巣部それぞれにクローナルな形質細胞の増殖が証明されていなければならない」というわけです。国際診断基準では一方で複数の骨病変があり、もう一方で何処か一ヵ所の病巣ないしは骨髄にクローナルな形質細胞の証明があれば2)と3)の条件は満たされます。M蛋白はクローナルな形質細胞から産生されますから、M蛋白があれば骨病変部個々について総てクローナリティーを証明する必要はありません。

 長尾さんの場合には、はじめておきた第3頸椎の病変部では、組織が小さく充分な検査材料が得られなかったため、免疫染色はできませんでした。しかし、この場所以外に左鎖骨に骨融解病変があり、M蛋白があって、一般的な臨床所見から多発性骨髄腫と診断されたわけです。主治医はこの診断に疑いを持っていなかったため、その後に現れた側頭骨の骨融解のときにも病巣部から組織をとって免疫染色をする必要性を認めず、直ちに放射線治療を行いました。しかし、裁判の成り行きから、どうしてもクローナリティを証明する必要があったために、2007年12月に右鎖骨に病巣が現れたときに、本人の了解を得て、免疫染色を行いそれを証明したのです。しかし、もし順序が逆で、最初の第3頸椎で形質細胞がクローナルであるとの証明がなされていれば、その後に現れた3ヵ所の骨融解病巣で、その都度免疫染色を行うことはなかったでしょう。これをしなかったからといって、「多発性骨髄腫ではなかった」と断定する理由にはなりません。しかし、裁判所は誤って診断基準の2)と3)を融合してしまったために、「複数の骨融解巣(3の基準)でクローナルな形質細胞が証明(2の基準)されなければならない」という裁判所“独自”の診断基準を作った結果になったわけです。

 生身の人間に苦痛を伴う検査を行うのは、必要最少限にとどめるのは医師として当然です。従って骨髄穿刺や病変部の組織検査は診断や治療方法の検討に必要な場合に限られるのが普通です。主治医が、複数の骨融解があり、比較的患者の負担の少ない血液検査によって常にIgGλのM蛋白が証明されていたために、多発性骨髄腫の診断を疑う根拠はないと考えたのは当然で、側頭骨病変部が現れたときも免疫染色は行わなかったのでしょう。

 9年間を通して常にM蛋白が高値であり、しかも骨病変が4ヵ所も現れるという疾患は、多発性骨髄腫の他に考えられない、というのが長尾さんを診察し治療にあたった医師達の一致した見解です。もし、違う原因によるというのであれば、それぞれの骨病変が何故起きて、M蛋白が何故常に高かったのか、そしてそれが何故いつもIgGλであったのかを説明しなければなりません。これらの点に関して裁判所は全く口をつぐんでいます。そのような疾患は多発性骨髄腫以外に知られていないのですから、言及できないのは当然でしょう。

免疫グロブリンについて

図1免疫グロブリンの構造

 一貫して高値を示したM蛋白が、検査のたびにIgGλであり他の種類が出たことがなかったという事実は、形質細胞のクローナルな増殖を示すものです。1個の形質細胞は1種類の免疫グロブリンしか産生しません。そしてそれが腫瘍化して無制限に増殖したのが多発性骨髄腫ですから、一種類の免疫グロブリンを産生するのです。それがM蛋白です。免疫グロブリンにはIgA, IgG, IgD, IgEおよびIgMの5つのクラスがあります。それらは2個の同じH鎖(Heavy Chain 重鎖)とそれに結合する2個の同じL鎖(Light Chain 軽鎖)からできています(図1参照)[3]。H鎖にはα, γ, δ, ε及びμの5種のクラスがあり、L鎖にはκとλの2種のタイプがあります。α鎖とκあるいはλの軽鎖が結合したのがIgAκかあるいはIgAλ。γ鎖とκあるいはλの軽鎖が結合したのがIgGκかあるいはIgGλという具合です。したがってランダムな組み合わせでは10種類の免疫グロブリンができる計算になります。実際に多発性骨髄腫のM蛋白で一番頻度が高いのはIgGκ、次いでIgGλ、IgAκ、IgAλ、IgDλ・・等の順になっており、初診時で一番多いIgGκは全体の46%、次いでIgGλが全体の26%と報告されています[4]。もし、クローナルな細胞増殖でなかったならば、9年間にも及び形質細胞の分裂が数え切れないほど起きたと想像される中で、M蛋白の産生が常に一種類であり、頻度としてはIgGκの1/1.8、全体では約1/4の確率であるIgGλのみであるとは考えにくいものです。

 診断基準は人を1個の統合され有機的なつながりを持った生命体として捉えることを前提にしています。個々の症状をバラバラに切りだして基準に合うかどうかを検討するのではありません。松井英隆裁判長から言い渡された判決は、その誤りをおかしています。その上、診断基準を誤って解釈した点でも到底納得できるものではありません。
 控訴理由書では、診断論に関し以上のような問題点を主として挙げ、弁護団は判決を批判しました。

第二の争点、多発性骨髄腫と電離放射線被ばくとの因果関係について

 第二の因果関係に関しては、第一の診断、多発性骨髄腫を否定した以上、判決では全く触れる必然性はありませんでした。しかし、「念のため」と称し、「放射線被ばくと多発性骨髄腫との関係について複数の観点から検討」した結果として「国連科学委員会が低線量との表現を用いている200 mSv未満の放射線被ばくと多発性骨髄腫との因果関係を肯定するには至らない」という判決を下しました。その複数の観点というのは、厚生労働省の検討会報告書[5]、国連科学委員会のUNSCAER 2000年報告書[6]財団法人原子力安全研究協会の「原子力産業従事者等に関する疫学調査検討委員会報告書」[7]の検討です。

厚生労働省の検討会報告書

 厚生労働省が電離放射線被ばくと多発性骨髄腫の因果関係を認めたのは、検討会報告書「多発性骨髄腫と放射線被ばくとの因果関係について」[5]に基づいています。多発性骨髄腫は他の大部分の悪性腫瘍と同じく、その病因は明らかではありません。従って因果関係は必然的に疫学的に検討されます。厚生労働省の検討会では、評価の高い専門誌に掲載された、信用性の高い論文を選んで検討しています。多発性骨髄腫は発症が遅くしかも希な疾患であるため、信頼できる結果を得るためには多くのコホートを長期間観察する必要があります。このような条件を念頭に放射線被ばくに伴う多発性骨髄腫に関する疫学調査報告を、

 (1) 広島・長崎の原爆被爆者
 (2) 原子力施設の作業者
 (3) 核実験に参加した作業者(ベテラン)
 (4) 放射線診療を受けた患者
 (5) 原子力施設等の周辺住民

に大別して検討しています。因果関係の有無の判断にはSMR(standardized mortality ratio, 標準化死亡率比)RR(relative risk, 相対リスク)、オッズ比など、定量的な結果を重視し、因果関係を明らかにするためには線量反応関係が確認できなければならないとしています。これらを条件に検討した39の論文では、相対リスク(RR)が1よりも大きいものが多く、また線量との相関関係を示していたため、以下のように結論しました。

1. 原子力施設の作業者を対象にした疫学調査では、internal analysis において、有意な線量反応関係が認められており、50 mSv以上の被ばく群での死亡がこの関係に特に寄与している。
2. 40〜45才以上の年齢における放射線被ばくが多発性骨髄腫の発生により大きく寄与している。
3. 多発性骨髄腫の発症年齢は被ばく時年齢が高齢になるにしたがって高くなる。

この結果、長尾さんは労災認定されたのでした。
 この判定に対し裁判所は、報告書の中で検討した文献には因果関係を否定し、結論が相反するものも含まれる中で、なぜ一方を採用し異なる報告を否定したのか、又それらを整合性のある報告としうるかという点について説明していないので説得力が乏しい、と批判しています。しかし、多数の疫学論文があるなかで、結論が総て同じでないから不採用というのであれば、どの報告をとっても同様でしょう。厚生労働省の報告書は、上に書きましたように、一定の基準を設けて論文を評価しています。相反する結論を出した論文が、このような基準を満たしていなければ採用しないのは当然であり、裁判所はこの点に思い至らなかった、と言えなくもないでしょう。
 厚生労働省の結論に反し裁判所が因果関係を否定する根拠とした資料は原著論文ではありません。国連科学委員会のUNSCAER 2000年報告書[6]と財団法人原子力安全研究協会が2007年3月にとりまとめた「原子力産業従事者等に関する疫学調査検討委員会報告書」[7](原安協報告書)です。

UNSCAER 2000年報告

 これまでの多発性骨髄腫のリスク推定の大部分は、死亡率データに基づいたものです。UNSCAER 2000年報告書[6]は罹患率データに、条件付きで重きを置いて書かれています。罹患率データは非常に少なく、報告書に取りあげられた主な論文は広島・長崎の被爆者を対象にしたPreston DL等[8]のものです。この論文では、死亡率データに基づいて認められてきた多発性骨髄腫の被ばくによる過剰リスクは認められていません。この結果についてUNSCEAR 2000年報告書[7]の要約では以下のように説明しています。「幾つかの死亡率の研究で低LET放射線外部被ばくの線量の増加に伴う多発性骨髄腫のリスクの増加傾向が示されている。しかしながら、このような関連は、対応する死亡率データがリスク上昇を示している集団(原爆被爆者のような)でも、その罹患率研究では一般的に明かではない。このことは死亡診断書の骨髄腫の分類が、過去の放射線被ばくの有無に応じて偏って行われたかもしれないことを示唆しているが、それを確かめることは困難である。もし罹患率データで記録された診断の質が一般的によりよいとすれば、原爆被爆者の知見は、特に低LET放射線被ばくとの関連を示す証拠は殆どない事を示唆しているであろう」と述べています(下線筆者)。

 この要約で言っているように、「死亡診断書の骨髄腫の分類が、過去の放射線被ばくの有無に応じて偏って行われたかもしれないことを示唆しているが、それを確かめることは困難である」という条件と「診断の質が一般的によりよいとすれば」という仮定があります。2003年に出された国際骨髄腫作業グループによる診断基準の背景からも分かるように、それまで診断基準は色々あり一定ではありませんでした。Preston DL等の論文で使用したデータは1950年から1987年までのものです。国際基準の3条件を満たす長尾さんでも日本を代表する骨髄腫の専門医から“多発性骨髄腫とは言えない”とされるほどですから、これらの診断が確かであったかどうか確かめることは2000年報告書がいうように難しいでしょう。この条件付きの論文のために、多くの核施設労働者や原爆被爆者の死亡率データから得られた結果が帳消しになるとは考えにくいと思います。

原子力安全研究協会の報告書

 原安協報告書で検討されている論文数は厚生労働省の検討会のそれよりも多いのですが、中には全く多発性骨髄腫に触れていないものや、米国国立医学図書館文献検索システムでも検索できない文献(?)まで含んでいます。また、その冒頭にはUNSCAER 2000報告書の上に挙げた要約をつまみ食い的に引用して改変しています。すなわち「国連科学委員会の報告ではいくつかの死亡率調査では、低LET放射線被ばくと多発性骨髄腫リスクに関連が認められるが、罹患率調査では両者の関連は一般に明確ではない。診断の精度を考慮すれば罹患率データを重視すべきであり、その場合両者の関連に関する証拠は殆どない。」これをUNSCAER 2000報告書と読み比べて見てください。明らかに国連報告書が言っている、診断の正確性を確かめる手段がないこと、診断が正確であったと仮定すれば、という条件を無視して、意図的な結論を引き出しています。そして原安協報告書の最後は「・・・UNSCAER 2000年報告の結論を変更するだけの根拠がないとの結論に達した。」と締めくくっているのです。国連の威を借りて、事実を歪めているのがわかります。

 裁判所の判断はこの原安協報告書に無批判に依拠しており、論文の評価には有意差検定を重視し、有意差があるか無いかの二者択一を行っています。その結果有意差の無い文献の方が有意差を認めた文献よりも多いとしました。これは疫学分野ではvote countingというのだそうです。信用性の低い論文や多発性骨髄腫に触れていない論文までも数え上げ、その質を考慮しないで数で勝負するという方法です。

 この報告書を出した原子力安全研究協会は経済産業省原子力安全・保安院及び文部科学省所管の財団法人であり、理事長は前原子力安全委員会委員長の松浦祥次郎氏です。賛助会員には東京電力をはじめとする9電力会社、原子力産業に関連する大手企業がずらりと名を連ね、その財源は国及び原子力産業の企業からの委託金、企業からの賛助会費によっています[9]。その上文部科学省は被告側に補助参加しています。あまりにもあからさまな団体が作成した資料といえないでしょうか? 当然報告書は公平な査読を受けていませんし、この検討委員会の委員の一人、疫学専門の大学教授は「疫学論文の信頼性を判断する基準は、誰がそれを書いたかである」とシンポジウム[10]などで公言しているほどです。これでは、自らの専門である疫学が科学ではないと言っているようなものです。また彼は水俣病関西訴訟で大阪高裁判決を誤らせた論文を発表しています[11]

 この報告書は非常にタイミング良く2007年3月に出されました。しかも「原子力産業従事者等に関する疫学検討」と言いながら検討しているのは悪性腫瘍としては非常に希な疾患である多発性骨髄腫、悪性黒色腫と前立腺がんのみに関するものです。放射線作業従事者における多発性骨髄腫の死亡頻度を知るためにCardis E等の論文[12]を参考にしてみました。15ヵ国の核施設で放射線作業に従事した労働者600,000人について放射線関連がんのリスクを調べてあります。調査対象者のうち、全がん死亡数は5,233で白血病を除く全がん死亡は5,024です。悪性腫瘍は31種で、死因を部位別に並べると肺がんがトップで1,457例、次いで大腸がんが410例、胃がん347例、・・・となって多発性骨髄腫は83例であり、順位では17番目です。「原子力産業従事者等に関する疫学調査検討委員会」が何故この時期に、このように希な疾患を取りあげて「疫学調査の文献的検討を行うことを目的として」「学識経験者による検討」を行ったかについては何の説明もありません。

終わりに、第一回控訴審とこれから

 第一回控訴審は10月30日東京高等裁判所で開かれました。青柳肇裁判長は、一審で長い時間を費やした診断論は裁判所が行うことではなく、それは医師に任せておくべき分野であると指摘しました。その上で、病気にかかって治療を受けていたことには争いがない事実であるから、その病気と放射線被ばくが関係するかどうかを判断するのが裁判所の役割であるとしました。さらに裁判長は原子力損害賠償法で同じような請求があったかどうか質問し、文科省の役人がJCO事故で死亡した二人以外にないと答えました。この状況から見ると、これからの裁判の争点は因果関係と原倍法が適用できるかどうか、になるのではないかと思われます。弁護団会議では高裁の風向きは少し違うようだと受け止められていました。
 これからも楽観は出来ませんが希望をもって弁護団と共に力を尽くしたいと思います。皆さまの変わらないご支援をよろしくお願い致します。

謝辞

 因果関係論の部分は岡山大学津田敏秀教授の意見書を参考にさせていただきました。


参考資料
[1] 崎山比早子:「長尾裁判から見えた市民科学の意義」 科学・社会・人間103号(2008年)38-44頁。
[2] The International Myeloma Working Group: “Criteria for the classification of monoclonal gammopathies, multiple myeloma and related disorders: a report of the International Working Group.” Brit. J. Haemat. 121 (2003) 749-757.
[3] Bruce A. et al.:“Molecular biology of the cell”(4th Edition), Garland Science 2002.
[4] 日本骨髄腫研究会編:『多発性骨髄腫の診断指針』、文教堂、2004年。
[5] 厚生労働省「電離放射線障害の業務上外に関する検討会」報告書:「多発性骨髄腫と放射線被ばくとの因果関係について」
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/02/s0206-3.html
[6]『放射線の線源と影響 原子放射線に関する国連科学委員会の総会に対する2000年報告書』付属書I、397頁、放射線医学総合研究所監訳、実業広報社、2002年。
[7] 財団法人原子力安全研究協会:「原子力産業従事者等に関する疫学調査検討委員会報告書」2007年。
http://www.nsra.or.jp/katsudo/rad_doc.html
[8] Preston DL et al.: “Cancer incidence in atomic bomb survivors. Part III: Leukemia, Lymphoma and multiple myeloma, 1950- 1987”. Rad. Res. 137 (1994) S68.
[9] 財団法人原子力安全研究協会 http://www.nsra.or.jp/index.html
[10] 秋葉澄伯: シンポジウム「低線量の健康影響に対する疫学調査」2001年3月13日 於コクヨホール。ここでの発言を2006年に放医研で行われたワークショップで本人に確認した。
[11]『医学者は公害事件で何をしてきたのか』津田敏秀 岩波書店 2005年。
[12] Crdis E. et al.: “Risk of cancer after low doses of ionizing radiation: retrospective cohort study in 15 countries.”BMJ 77 (2005) 331.


「科学・社会・人間」No.107 2009年1月20日発行 より転載



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