TOPページ高木学校通信 > 高木学校通信 第83号(2012年11月22日 発行)

高木学校通信 第83号(2012年11月22日 発行)

<目次>


いま、求められる情報とは −パネルディスカッション(抜粋)−
「高木学校への出前講演の依頼の殺到から見えてきたこと」

山田千絵

 昨年の原発事故後の対応を見て「マス・メディアが私たちに必要な情報を伝えていないのではないか」との疑念を持った方も多いのではないでしょうか。事故直後、高木学校へは「放射線の人体への影響」のテーマを中心に、講演依頼が殺到しました。

 2012年7月「いま、求められる情報とは」(主催:市民活動資料情報センター基金)では、様々な方法で情報発信に関わった人(ミニコミ発行、デモ呼びかけ、インターネット番組配信、出前講演講師)が集まり、報告とパネル・ディスカッションを行いました(『高木学校通信』81号に掲載)。筆者は高木学校の出前講演について、講演依頼人=発信者という視点に立って報告しました。強調したのは、次の点です。「(1)市民が必要とした情報が不足した」このため、「(2)不足を補おうと、多くの市民が自ら講演を企画・主催して情報発信をした」。従って、市民は我々の情報発信の機会の提供者でもありました。つまり「市民は主体的に、発信者の役割を担った」と筆者は結論づけました。

 本稿では、夏の学校報告(『高木学校通信』82号)に続き、依頼件数の推移、依頼人の特徴、講演テーマなどデータを交えた報告をさせて頂きます。
 はじめにご紹介するのは、出前講演(依頼件数)の推移です。前頁の図(「情報が広まった主な経路」)をご覧ください。原発事故から5カ月目、7月が講演のピーク(月に39回の講演)です。次に多かったのは10月(月に30回の講演)でした。また、2011年7月から11月の期間は毎月15回以上の講演がつづき、まさに依頼が「殺到」している状態でした。  次に、ここに至るまでの出来事をざっと考察してみます。

情報が広まった主な経路

・最大のイベントは原発事故から程なく原子力資料情報室がインターネットニュースのUSTREAMで「放射線の人体(生物)影響」に関する情報を配信(出演:崎山比早子)したこと。ここでの情報が、情報不足に悩む市民の間で広がっていったと思われる。
・これに遅れて、マス・メディアからの取材等の依頼が来るようになった(BSTV、ケーブルTV、ラジオ、雑誌、地上波デジタルTV、の順)。
・最初のUSTREAMより2カ月後(5月以降)、依頼件数が月10件を超えた。これについては、認知されるまでに時間差があったと考えられる。
・秋に高木学校がテレビで紹介されるが、その後、依頼はそれ程増加しなかった。依頼が「殺到」した契機としては、初期のインパクトが最も大きいと考えられる。
・メディアへは頻繁かつ継続的に登場しておらず、また、単発的に出演しても依頼は爆発的に増えない。依頼が細々と続いている背景には、インターネットやマスメディア以外の要因があると考えられる。
・「出前講演」という対面・双方向の情報伝達の効果が考えられる(リピーターの存在、市民のクチコミなど)。

 では、「市民が必要とした情報」とは何だったでしょうか。依頼を受けたテーマは、次のいくつかに集約されました(図は割愛)。
 2012年7月までの依頼件数(226件)のうち、
・「放射線被ばく・放射能汚染」(117件)が最も多く、全体の5割(51%)を占めた。
 以下のテーマにおいて、その大半には「放射線被ばく」のテーマが含まれる。
・「子ども」が全体の4分の1(24%)を占めた。
・「食品・暮らし」が全体の10分の1(11%)を占めた。
・「原発・核」(10%)、「エネルギー」(3%)、「医療」(2%)、「情報」(1%)と続いた。
(なお詳細については、昨年より『高木学校通信』に掲載してきたQ&A、団体からの寄稿、アンケートなどを通じて、内容をお伝えしてきたのでここでは割愛します。)

 それでは、本題となる市民に目を向けてみましょう。講演を企画・主催して高木学校の講師を招いてくださった市民=依頼人(団体)はどのような方たちでしょうか。まず、依頼人を団体分類別に集計しました。左頁の図(「依頼人(集計)―団体分類別―」)をご覧ください。

依頼人(集計)  2012年7月までの依頼件数(226件)のうち、多い順にご紹介します。
・市民団体・NPO等団体(89件)が最も多く、全体の4割(39%)あった。
・組合(教職員組合、生活協同組合、労働組合の合計、35件)が16%を占める。
・議員・政党(22件)が10%を占める。
・地方自治体(21件)が9%を占める。
・学校・幼稚園・保育園・PTA(17件)を合わせると8%を占める。
・業界団体(7%)、企業(営利団体)(3%)、その他と続く。

 さらに、詳細を示した右の表(「依頼人(団体)の分類―依頼数の多い順」)もご覧ください。

依頼人(団体)の分類 ・全体の4割(39%)を占める市民団体・NPO等団体(89件)のうち、そのうち3割(31団体)を新しい団体が占めた。
・組合(全体の16%)の中では生活協同組合の件数は突出して多かった(次いで、学校の教職員組合、労働組合であった)。
・議員・政党(全体の10%)の中でも、地域政党が特に多かった。
・地方自治体(全体の9%)も議員・政党に次いで多くなった。
・学校・幼稚園・保育園・PTA(全体の8%)では、私立・公立や、様々な年齢層を問わず、まんべんなく講演依頼があった。
・業界団体(全体の7%)では、医師・薬剤師・医療関係が目立った。

 では、ひきつづき依頼人(団体)について、活動する地域等を見てみます(図は割愛)。
・関東甲信越地方(79%)を筆頭に、次いで東北地方(13%)を拠点とする人・団体が多かった。
・首都圏に近い所では、ホットスポットとされる地域(千葉県内、東京都内、群馬県内、神奈川県内の一部市町村)からの依頼が、また、除染対象となっている福島県内の一部市町村からの依頼もあった。
・数は少ないが、遠方の原発立地県から複数の依頼があった(福井、新潟、静岡、北海道)。
・遠方では、関西(3%)、※中部(2%)、北陸・九州・四国・北海道(各1%以下)の順だった(メンバーより:中部・南信地方で活発に活動する別の団体があり、高木学校へのニーズは高くないと指摘があった)。

 それでは、最後に依頼人(団体)の傾向を要約します。依頼件数(226件)のうち、
・全体の4割(39%)を占めたのは、市民団体・NPO等団体(89件)だった。このうち、新しく結成された団体が3割(31団体)に達していることがわかった。これら団体には、子どもや子育てをテーマに活動する団体が多い。
・市民団体・NPO等団体の活動テーマは多岐にわたる(例えば、消費生活、労働問題、憲法、学校教育、反核・反原発、平和運動、環境・エネルギー問題、子育て、社会教育・生涯学習、男女共同参画etc.)。原発事故を受け、多様な市民団体が動いた事がわかる。
・その他に、講演の実現を目的とする時限的なグループ(実行委員会)もあった(約10団体、市民団体・NPO等のうち1割程度)。
・市民団体にとどまらず、組合(全体の16%)、議員・政党(全体の10%)、地方自治体(9%)、学校・幼稚園・保育園・PTA(全体の8%)、業界団体(全体の7%)、企業・営利(3%)など、多様な組織や団体が情報収集へ動いたことがわかった。
・全体の傾向を見ると、全国規模で活動する団体よりは、特定の地域を拠点とする人・団体からの依頼が多かった(約180団体、8割程度)。

 高木学校に情報発信の機会を与えてくださったのは、ここにご紹介してきたような方々です。日頃から活動している皆さんの力が、いざというとき、いかに頼もしいものかを実感しています。皆さまには、この場を借りて感謝を申し上げます。

▲このページの先頭に戻る


低線量放射線のリスク - 国会事故調の調査から見えたもの - その2

崎山比早子

 国会事故調査委員会のヒアリング19回は公開で行われ、同時通訳によって海外にも配信された。委員会では事故の直接的原因の究明に重点が置かれ、間接的な原因である原子力発電所が何故世界一の地震列島に54基も建てられたかについては残念ながら全く調査できなかった。これは今後の大きな問題として残されている。そればかりか、その原動力となっていた政、官、学、財、メディア、司法が一体となった構造は事故後も責任を追及されることなくそのまま保持されており、事故処理からこれからの原子力行政までも牛耳っている現状がある。このような大事故の後も依然として体制を変えようとしないのであれば、何のために事故調査を行ったのか。報告書を提出してから4ヵ月あまり、報告書がすでに忘れ去られようとしている今、不安と焦燥感は募るばかりである。

 委員会では原子力規制側の参考人として原子力安全・保安院(保安院)の元、前、現院長、原子力安全委員長、事業者側では東電の前副社長、前社長、会長等を、推進行政側では文科省、経産省担当官などを招致し、聴取を行った。東電関係者は聴取のはじめに必ず「原発事故を起こし、社会に多大なご迷惑をおかけし大変申し訳ない」と深々と頭を下げて謝る。しかし、実際にヒアリングが始まり、質問が地震による重要器機損傷の可能性や津波の危険性を知りながら自社の利益を最優先して対策を講じてこなかった彼等の責任に及ぶと、言を左右にして明言を避け、あるいは否定した。

 事故の一義的な責任は事業者にあることに疑いはないが、原子力政策を推進してきた当局、事業者を監督、指導するべき規制当局の責任も大きいはずだ。現場を見ないと確実には証明できないとは言え、少なくとも1号機の事故の直接的な原因は地震動による配管の亀裂による冷却材の喪失である可能性は否定できないし、津波が押し寄せる前に電源喪失は起きていたと言っても良い証拠が存在する。地震動に耐えられない可能性のある古い原発の耐震性をさかのぼって調査(バックチェック)し、対応策をとる(バックフィット)ための予算があったにも関わらず、東電はそれを怠っていた。津波に関しても30メートルにもなる可能性は知っていながら対策をたてなかった。このような東電という事業者がいる。これを直接的、間接的に監督、指導すべき保安院、安全委員会はその事実を知りながら黙認してきた。その実態は第4回斑目春樹安全委員会委員長、第8回広瀬研吉元保安院長、第9回深野弘行保安院長のヒアリング(1)で明らかにされた。

 ヒアリングを通してわかったことは事業者であれ規制当局であれ、その責任ある地位にいた人間のうち誰一人としてこの事故による被害の重大さを受け止め、被災者の痛みに心を通わせ、責任を感じているようには見えないことであった。公開でヒアリングを行ったことによりこれらの事実が国の内外を問わず万人の目にさらされた。このような人間達によって政策が決定、運用され、好むと好まざるにかかわらず彼等に日本人全体あるいは地球上の全生物の命迄も握られている現実を見て鳥肌が立つ思いをした方も多いと思う。彼等は事故が起きて放射性物質の大量放出が起きたらどうなるのか想像しようともしなかったと言ってよいし、現に17万人以上の人々が住むところを失い、何時終わるとも知れない苦しい避難生活を余儀なくされていることの痛みを感じもしていないだろう。その点は委員会のたびに被災者を代表した蜂須賀禮子委員が指摘していたことであった。

 農林畜産業に対する被害の実態、これから予想される健康被害の可能性などは、チェルノブイリ事故による被害の大きいウクライナから3人の参考人を招いて説明を受けた(第7回)。ウクライナ政府から発行された事故後25年の健康被害に関する報告書(2)は、福島及び周辺汚染地区における子どもたちのこれからの健康問題を考えてゆく上で参考にすべき資料である(健康被害については次回で触れたい)。福島県の被害に関しては調査が事故後1年足らずの時期であったということもあり、実態としては掴みきれていない。避難地域に指定された、双葉町(第3回)、浪江町(第10回)、大熊町(第11回)でのヒアリングとタウンミーティングにより避難されておられる住民から避難当時の生々しい声をうかがった。委員会で被災住民を対象に行ったアンケ−ト調査の自由回答欄に8,000名以上の方が思いの丈を述べられている。これらから原発事故による被害が他の自然災害と異なり、取り返しのつかないものであることをあらためて認識し、この災害は何時自分の身に降りかかるものであるかも知れない現実を思わないわけにはいかない。

参考資料
1, 国会事故調 http://warp.da.ndl.go.jp/
2, Bebeshko V. et al. 『Health effects of the Chernobyl accident a quarter of century aftermath』 Global Center for Radiation Health Risk Control & National Academy of Medical Sciences of Ukraine

▲このページの先頭に戻る


中山靖隆さんを偲ぶ会報告

板橋志保

 5月に急逝された中山靖隆さん(享年53)を偲ぶ会が、11月3日世田谷区ご自宅近くの喫茶店でありました。ご遺族、関係団体が集まり、市民研の上田さんのご尽力で実現。参加者30人程、 高木学校から4人。しんみりでなく和やかな?雰囲気で、故人を偲ぶ。
 中山さんはいつも沢山テーマを抱え忙しそうでした。何が本業か “得体が知れない”多芸多才な人、今まで知らなかった面を知る。

 関係団体は高木学校、近未来生活研究所、生活クラブ生協、世田谷区セカンドライフ講座、坂下栄さん・せっけん運動等。お互い知らなかったが中山さんが繋いだご縁。
 近年は地元世田谷区で高齢者の活動が中心。パソコン教室。「歩いて健康作り」は数万人動員とか。小唄・三味線、和綴じ本、まであり幅広さに驚く。
 高木学校ではお世話になった功労者。第0回夏の学校の会場手配。化学物質問題研究グループの定期勉強会の会場→成果は市民講座に、また生活クラブとの協働も。医療被ばく手帳の製作費助成をいただき→解説本『受ける受けない』→医療被ばく問題の取組拡大のきっかけでした。感謝。

 私は高木学校以前から桑垣さんを通じ知り合い。こどもが1歳違いで、一緒に遊園地も行きました。「遊びにおいで」と誘われたのに行けず悔やまれます。生きてるうちが華。
 病気知りませんでした。積極的に連絡すべきでした。西洋医学嫌い?の彼を友達連中で無理やり病院に連れ込んだ方が良かったのか。

 市民科学者の大先輩坂下栄さんが5年前急逝された時、「若い世代が後を引き継ぐ」と言ってたのに。道半ばで若くして、小学生の子を遺してとは、、。あまりに無念。
 父と十年しか一緒にいられなかったご子息、ひとり親になってしまったお連れ合い。同じ境遇の者としてなにかお手伝いお力になれたらと思います。
 中山さんが蒔いたいっぱいの種はきっと咲くでしょう。合掌。


▲このページの先頭に戻る


『省エネの友2013 原発のいらない生活』

リサイクル・エネルギー班 桑垣豊

 原発の危険性は、今や多くの人の認めるところとなりました。そこで、原発推進派は電力不足を前面に押し立てることにしたようです。この夏の原発再稼働も、表向きは安全性が確認できたからだとしていますが、電力不足への懸念を利用しています。

 そこで、高木学校では、放射線ひばくの問題とともに、エネルギー消費を減らすとりくみを進めることにしました。電力の必要性の面でも、原発は不要であることを示すためです。省エネパンフ『省エネの友2013 原発のいらない生活』は、だれでもすぐにとりくめる省エネの方法を簡単に説明したものです。

 世に数々ある省エネものとの違いは、1)実際に使って試している、2)価格も考えに入れる、3)快適さや使いやすさにも配慮する、4)電磁波の影響も考える、などの点です。環境への関心が高くない人や、エネルギーの知識があまりない人にも、すぐに役立つようにしました。手軽なものにするため、まちの構造や家を建てる段階の話しは省いて、どういう製品(電気・ガス)を使うか、使わないかに話題をしぼりました。

 省エネは、がまんと費用をかけることだという人もいますが、むしろ生活を快適にすることもあるということを知っていただけると思います。

A4 12ページ カラー 予定価格100円(ダウンロード無料)

『省エネの友2013』のPDF版は、高木学校の出版物ページからダウンロードできます。


▲このページの先頭に戻る


ふだん着の仁さん(62)「トイレのないマンション」その後

高木久仁子

 11月7日に「高レベル放射性廃棄物 地層処分は可能か」と題した原子力資料情報室公開研究会がありました。2010年9月原子力委員会は日本学術会議へ「高レベル放射性廃棄物の処分に関する取組について」を審議依頼し、日本学術会議高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討委員会が今年9月11日に回答を公表しました(日本学術会議のWebページに掲載)。「学術会議が提言、地中最終処分撤回を」と新聞にも報道されました。

 講師の舩橋晴俊さんは学術会議の高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討委員会の主要メンバーの一人で、公開研究会へ行ってきました。
 仁さんは晩年、原子力資料情報室や高木学校の仲間と地層処分問題批判に集中し、核燃料サイクル機構の各種研究報告を検討し、安全に処分ができるなどという根拠は政府自身の報告書の中にもないと断言できるとしました。高木学校の地層処分問題研究グループは、その後高木学校から独立し地層処分批判をつづけています。

 高レベル放射性廃棄物の地層処分は可能という、核燃料サイクル開発機構が取りまとめた報告書は1999年11月に出され、2000年5月には国会で特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律が成立、実施にあたる原子力発電環境整備機構(NUMO)は2000年10月設立。ニューモ(NUMO)とはNuclear Waste Management Organization of Japanですが、日本名からは核廃棄物管理の組織とはわかりません。2007年に高知県東洋町が候補地に名乗りをあげ、町民の反対で取下げた後は、NUMOはテレビCMや、新聞広告、各種イベントと新聞社、タレントを動員し候補地探しキャンペーンを展開、しかし応募はゼロです。で、原子力委員会は国民への情報提供のあり方について日本学術会議へ検討を依頼したのです。

 舩橋さんは、学術会議検討委員会の認識と基本的立場から説明されました。
 認識は、<審議における3つの視点>1.高レベル放射性廃棄物の処分のあり方に関する合意形成がなぜ困難なのかを分析し、そのうえで合意形成への道を探る。2.科学的知見の自律性の確保と、その限界を自覚する。3.国際的視点を持つと同時に、日本固有の条件を勘案する。
 <明らかとなった3つの困難>1.エネルギー政策・原子力政策における社会的合意の欠如のまま、高レベル放射性廃棄物の最終処分地選定への合意形成を求めるという転倒した手続き。2.超長期にわたる放射性物質による汚染発生可能性への対処の必要性。3.受益圏と受苦圏の分離。

 そして<震災・原発事故の経験>自然現象の不確実性への適切な配慮の必要性と大地震による日本列島における地殻の変動、です。基本的立場は、原点に立ち返って考え直す、狭い意味での説得技術を超えた検討が必要、民主主義の原理に則り利害関係者が議論を尽くし合意形成する、の3点です。

 その上での6つの提言は1.高レベル放射性廃棄物処分に関する政策の抜本的見直し2.科学・技術的能力の限界の認識と科学的自律性の確保3.「暫定保管」および「総量管理」を柱とした政策枠組みの再構築4.負担の公平性に対する説得力ある政策決定手続きの必要性5.討論の場の設置による多段階合意形成の手続きの必要性6.問題解決には長期的な粘り強い取り組みが必要である、との内容を示されました。
 概ね市民の視点からも至極当然の結論です。普通のゴミ問題でも住民のコンセンサスは欠かせないのですから、ましてや放射性廃棄物の処理問題に熟議民主主義は不可欠でしょう。

▲このページの先頭に戻る


高木仁三郎、宮澤賢治、鈴木孝夫の言葉とともに

仁衡琢磨

 私は茨城県生まれ、在住の者です。原発が有る東海村のすぐ隣町で生まれました。十八の歳までそこに住んでいましたが、恥ずかしながら原発についてさほど意識したことは無かったというのが正直なところです。しかしチェルノブイリ事故の際、原発の恐ろしさを初めて思い知りました。更にJCO臨界事故の際には、自身は茨城におりませんでしたがすぐ隣町に住む父母を思い、憤りを覚えました。そしてその頃から高木仁三郎さんのことを知り、その市民科学者としての活動に敬意を感じた次第です。しかし自分自身では何も動くことはせずに、あの震災・原発事故を迎えるに至ってしまいました。

 茨城県で妻子と住む私にとって、あの三月からの日々、事故があった福島原発・余震による事故が心配な東海原発との間近な距離、そして何よりもう現に決定的に地面・空気・食物が汚染された、という事実が差し迫った脅威として極めて重くのしかかりました。事故後すぐに妻子を西に疎開させましたが、事情により戻したり、また疎開させたり、私は仕事をしながら疎開先と往復して疲れ切ったり、子を一人で育てる妻も疲弊困憊したり、と家庭生活は大変なものとなりました。

 原発事故後、改めて放射能、内部被曝、原発等について勉強しましたが、高木さんの文章にやはり最も感銘を受けました。特に高木さんが『市民科学者として生きる』の中で宮澤賢治の言葉「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」との出会いを記し、この出会いによって公職を去って市民科学者となった、という部分に二つの意味で衝撃を受けました。

 まず賢治の文そのものに。実験の為の実験、科学の為の科学ではなく、ましてや経済の為の科学ではなく、「われわれの為の科学」だけが在ってしかるべきだ、私はこの一文から強くそう感じたのです。
 第二に、この言葉に衝撃を受けたことにより在野に転じて活動を加速させた高木さんの行動力に、です。自分も出来ることを何かせねば、そう思いました。
 しかし子沢山の私にとって、まず妻子を守ることだけでも(その為に仕事をすることを含めて)、精一杯の状況であり、直接的な行動に出にくいことに焦燥を感じるしかありませんでした。悩んでいた私は、尊敬する言語学者鈴木孝夫さんに相談しました。すると「自分の立場でやれることをやる。理想に思うことがやれないからといって何もやらないのはいけない。そのとき出来ることをやるのだ」という言葉を頂き、迷いが軽くなりました。

 まず自分でも出来ること、高木学校・高木基金・原子力資料情報室などへの募金をしよう、文弱な人間ではあるけれど文章ででも闘いの意志を示すことで思いを表に出そう、そう決意しました。
 実際に厳しい闘いの最前線に直面して頂いている方には感謝とともに慚愧の念に堪えませんが、まず「今の自分の立場で」できること、として高木学校等をサポートしていきたいと思っている次第です。
 高木学校の崎山さん達の国会事故調があそこまでしっかりとした提言をしたのに、それが全く活かされない現状は一体何なのでしょう。政治、官、学も、一部の例外を除き殆どが旧態依然でがっかりです。
 やはり「市民科学者」と市民にしかこの事態を動かせない、そう思います。高木学校の益々の活動発展・継続を祈念する次第です。私もサポートを継続し、自分のできることを続けていきたいと思っています。



▲このページの先頭に戻る
TOPページ高木学校通信 > 高木学校通信 第83号(2012年11月22日 発行)